岡部雅子さんを偲んで-2024年の最後に

 
 『山川菊栄と過ごして』の著者、岡部雅子(つねこ)さんが12月6日に93歳で逝去されました。民間会社に勤めたのち、中学校の数学教諭をされていましたが、山川振作氏と結婚した美代さんの姪という縁戚関係から、山川均と死別したあと一人暮らしを始めた菊栄と同居されました。藤沢市弥勒寺(みろくじ)の家で身辺の世話や来客の取り次ぎといった秘書代わりの雑用をされ、亡くなる直前まで寄り添っていました。
男の子一人しか子どものいなかった山川菊栄にとっては、雅子さんを筆頭とする桂子さん、美子さん、佑子さんの四姉妹は娘でもあり孫でもあり、またフェミニズムの同志でもあった、ある意味シスターフッドで支えあう間柄でした。雅子さんは菊栄を「おばあちゃま」と呼んでいたそうです。

岡部雅子著『山川菊栄と過ごして』


二人の出会いは、1943(昭和18)年に成城の柳田国男邸を菊栄が訪問しその帰りに岡部さんのご実家に寄ったときで、岡部さんが12歳のときだったとのことです。柳田邸には『わが住む村』と『武家の女性』の出版をあっせんしてくれたその謝礼を述べるため訪れたのでした。

戦後、疎開先から大学入学を機に実家に戻った岡部さんは、おじにあたる振作氏の家を相談先として頼り、また藤沢の山川夫妻のもとにも時折訪れていました。自然あふれる周辺散策や庭の手入れ、ニワトリの世話などで夫妻と過ごし、二人がかわすきれいでていねいな言葉を通して問わず語りの教えを受ける、お茶の時間を大切にしていました。そして、山川均が亡くなるときの最期のつぶやきを聞き、葬送の手伝いもしました。いつしか山川菊栄の生き方に畏敬の念をいだき、山川菊栄の足跡を世に伝えることをライフワークと決めていた岡部さんは、山川菊栄と藤沢の弥勒寺での共同生活をするようになるのです。

1959年に菊栄・振作の母子が企画した、山川均の全著作集編さんのため、岡部さんはその著作カードづくりに着手。その傍ら菊栄のカード作成もはじめました。そして「均の全集刊行が終わったら、私は菊栄の評論やメッセージを、年代順に並べて、世に出したいと考えていた」と書いています。従って、岩波書店から出版された『山川菊栄集』の構想は岡部さんが早くからもっていた ということになります。二年ほどで作業を終え、 著作リスト一覧表の冊子を作ることで均全集出版へ向けての下準備が整ったあと、菊栄の著作リストカードの作成を始めたのは、1960年代初頭からということになります。均と比べて多種多様な媒体に寄稿した菊栄の著書の出典調査は難航したと言います。自分の書いた記事の書誌を記すことがないままのこともあり、不明な点は本人の記憶を確かめながら、仕事の傍ら国立国会図書館をはじめ各所を尋ねながら岡部さんは地道に調べていきました。

今日ではWeb上の書誌検索があたり前のようになりましたが、国立国会図書館のフロアでいつからか閲覧用パソコンデスクにとって変わり姿を消した、あの茶色い図書館カードの函の列をめぐって、重い木のボックスを引き出しカードをめくって請求番号を探し・・・という手作業を繰り返す岡部さんの姿が目に浮かびます。二十年近いその蓄積に外崎光弘氏の応援を得て完成したのが労作「山川菊栄著作目録」(外崎光弘 岡部雅子編『山川菊栄の航跡』ドメス出版、1979年所収)であり、それが山川菊栄研究の基礎となったことは間違いありません。なかでも、戦後に本人が国立国会図書館に寄贈した山川菊栄訳『大戦の審判』(今日ではドイツの法律家リヒャルト・グレリンク著と判明)を丁寧にみて、ペン書きで残した書入れについて翻訳出版の秘された経緯を示す資料として記したことは大きな功績だと思います。


寝食をともにした岡部さんでしか知り得ない、人間・山川菊栄が著されている『山川菊栄と過ごして』(ドメス出版、2008年)は研究上必読書といえると思います。歩行困難になっても選挙に行くことを欠かさなかった山川菊栄をリヤカーに莚を敷いて投票所の村岡小学校まで連れていき、普通の折り畳み椅子に腰かけさせてひきずるエピソードは圧巻です。

また、日常的な言葉の速記的な書き取り は断片的とはいえ、オーラルヒストリーの一面をもっています。戦争末期の菊栄と均の疎開について、山川振作氏の回想テキストでは妻の安全な出産のためと「母にウソをついて」疎開させ、戦時混乱における官憲からの暴虐の恐れから逃したいという、自分の「真意」を両親は知らなかったと書かれています。それをテキストの表層で解釈している後年の研究に対して、岡部さんは菊栄本人からその「真意」を暗黙のうちに見抜いていた、という言葉を聞き出していた事実を明示しました。そして、振作氏の回想だけを引用すると誤った解釈になると書いていますが、まさしく深層を知る人ならではの警告となっています。

岡部さんご自身は、定年まで藤沢市立中学校に数学教員として勤務し、多くの生徒を育て、卒業生やお世話になったという保護者にとっては「岡部先生」でした。菊栄の晩年は、菊栄のケアのために、近くの学校への転勤を希望したとも語っておられました。
菊栄没後は、あらゆる機会に山川菊栄の功績を記録し、広めるお仕事に邁進されました。お元気なうちは山川菊栄記念会 のイベントは皆勤でいらっしゃいました。
そして、「菊栄の思想を生きる」ことを実践されていたと思います。憲法改悪の動きに対抗する女性たちのネットワークに熱心に参加をし、ニュースレターの発送などに、東京まで通っておられました。また女性を政治の場に送るという活動も熱心にされていました。もちろん、選挙に行くことも欠かさず、選挙会場まで行くのが不安と、介助のリクエストを受け、ご一緒したこともありました。また女性市議の始めた「障がい者」の作業所には、晩年までボランティアとして通っておられました。

愛用の車はスポーツタイプのマニュアル車、それを飛ばして江の島の神奈川県立女性センターにあった山川菊栄文庫の資料整理にも通っておられました。その様子は、山上千恵子監督ドキュメンタリー映画「姉妹よ まず かく疑うことを習え―山川菊栄の思想と行動」の一場面として記録されています。この整理の過程で50数冊の整理ノートを作成されています。
現在、山川菊栄文庫の資料整理をする中で、岡部さんの整理ノートの仕事の大きさを改めて感じています。著作リストを最初に作ったしごと、そして雑誌『婦人のこえ』総目次の編さんとともに、まさに山川菊栄のドキュメンタリストとして生涯を捧げた活動に、心から敬意を表します。

いまごろは、山川菊栄とお茶でも飲みながらゆっくりお話しできているでしょうか。それとも似合う着物を選んであげて着るのを手伝い、その笑顔をまた撮影しようとしているのでしょうか。きっと、世の中を憂え、女性たちに熱いエールを送ってくださっているのではないかと思います。
心からご冥福をお祈り申し上げます。(山口順子、山田敬子)

*参考
岡部雅子「『山川菊栄著作目録』発行にあたって」『婦人問題懇話会会報』28号、1978年6月、p72
外崎光弘 岡部雅子編『山川菊栄の航跡』ドメス出版、1979年
岡部雅子「故山川菊栄をしのぶ」『婦人問題懇話会会報』34号、1981年6月、pp.34-35
岡部雅子『山川菊栄と過ごして』(ドメス出版、2008年)
岡部雅子作成『婦人のこえ』総目次(菅谷直子『来しかたに想う-山川菊栄に出会って』、岡部雅子、佐久間米子による私家版、2005年、pp.58-107所収)
総目次PDF版は日本婦人問題懇話会の軌跡サイト内の菅谷直子さんのページからダウンロードしてご覧いただけます。


*在りし日の岡部雅子さん 2016年4月2日・第2回婦人問題懇話会同窓会ビデオ(19分50秒くらいから『婦人のこえ』総目次作成を褒賞した婦人問題懇話会に対して短い答礼挨拶をされています)https://sites.google.com/view/fumonkon/reunion

菊栄カフェ読書会@藤沢からのお知らせ

11月17日に開催された、第5回菊栄カフェ・読書会の報告ですが、8名のみなさまのご参加がありました。会場のBOOKYさんにはいつものように御協力いただきありがとうございました。

 前半は、山川菊栄関連の話題提供・共有として、記念会サイトで公開している「山川菊栄記念館*資料部情報」を印刷したファイルなどのプリントアウトをBOOKYさんに来店した方が、いつでも読んでもらえるように、12月1日から新たにレンタルスペースの棚一つに置いていくことになりました。

また、日仏会館百周年記念日仏シンポジウム「フランスにおける40年の日本研究、これからは?」(11/14-15)二日目にあった「人種差別と植民地主義を再考する」の中で、ピエール=フランソワ・スイリ(元ジュネーブ大学教授)氏が、戦前の日本において、山川菊栄だけが、人種・性・階級の差別をあわせて論じていたと紹介されたとのことで、その根拠となる山川菊栄著「人種的偏見・性的偏見・階級的偏見」(『雄弁』1924年6月号掲載)について、朗読をつうじて共有しました。

 後半は、村岡公民館に掲示してある弥勒寺周辺の書き起こし地図の写真提供があり、みんなでみました。「山川均邸」などがかかれています。そのあと、「わが住む村」の続き(p27~p39)から「助郷の禍」「黒船来たる」を一龍斎春水さんの朗読で読み、引用と菊栄の文章の絶妙なバランスに気づかされました。

菊栄の本棚
BOOKYさんの棚「シェア型書店」をオープンしました。



12月1日からいよいよ、会場としているBOOKYさんの本棚をレンタルし、「山川菊栄記念会」書店をオープンしました。記念会の編集出版書籍をはじめ、菊栄の著作や、女性関連書籍を販売します。『わが住む村』岩波文庫の古本も何冊か置きましたので、お持ちでない方はここからお求め下さい。
このほか、菊栄資料のプリントアウトもこの棚に置いておきますので、BOOKYさんにぜひご来店くださって、手に取って読んでいただけたらと思います。
BOOKYさんの営業日・時間はこちらをご確認ください(金土日月営業です)。

*次回読書会は2025年1月11日(土曜日)14:00から開催です*
BOOKYさんで何か好きなものをオーダーしてくだされば、どなたでも参加できます。イスの用意がありますので、初めての方はご連絡いただければ幸いです。

*参考  文中の各種文献がダウンロードできるリンクをご紹介します。

・山川菊栄著「人種的偏見・性的偏見・階級的偏見」(『雄弁』1924年6月号掲載。)が読めるのは、

田中寿美子, 山川振作 編集『山川菊栄集』3,岩波書店,1982.4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12144384/1/139

鈴木裕子 編『山川菊栄女性解放論集』2,岩波書店,1984.5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12143124/1/45

・棚においてあるPDFのダウンロードができる場所:オープンアクセスでどなたでも自由にお読みいただけるようにしています。

山川菊栄記念会『資料部情報』https://yamakawakikue.org/archives_info/

山口順子「『山川菊栄文庫資料』(神奈川県立図書館蔵)のうち青山延寿出版関係史料概要について」補論で「覚書 幕末の水戸藩への道程」を書いています。(科研B-20H01319「維新政権期の木版刊行物に関する学際的研究およびオープンサイエンスの推進」2020年度~2023年度 研究代表・国文学研究資料館研究部・総合研究大学院大学 藤實久美子教授)の研究サイト内 からダウンロードできます

日仏会館創立百周年記念日仏シンポジウムで山川菊栄が大きくクローズアップされました。

1924年に開館した日仏会館は今年で100年を迎えました。それを記念し日本研究の蓄積を振り返り、また未来を展望する国際シンポジウム「フランスにおける40年の日本研究、これからは?」が11月15日と16日の二日間にわたり開催されました。

二日目の午後のセッション「人種差別と植民地主義を再考する」の中で、元ジュネーブ大学教授のピエール=フランソワ・スイリ氏が、山川菊栄の略歴と著作「人種的偏見・性的偏見・階級的偏見」(『雄弁』1924年6月号)について解説し、山川菊栄は、人種・性・階級の差別という三重の差別、インターセクショナリズムに理解を示していた稀有の女性と強調されました。山川菊栄のポートレイトが会場のスクリーンに大きく映し出されて、1924年にこのような女性がいたことは驚くべきことと最大限の賛辞で紹介されました。

日仏会館100周年記念シンポジウム
左からスイリ氏、成田龍一氏、司会の平野千果子氏

 スイリ氏はフランス国立東洋言語文化研究院教授として1999年から日仏会館フランス学長を務めたころ、2001年専修大学での日仏学術シンポジウムに登壇され、その記録は『歴史におけるデモクラシーと集会』(専修大学出版局、2003年)としてまとめられています。日本の歴史研究書を多数著されていますが、ジュネーブ大学においてフランス語訳のアンソロジー『植民地時代の日本 1880 ~ 1930 年 相違の声』(Japon colonial 1880-1930, Les voix de la dissension, Paris, Les Belles-Lettres, 2014)を監修されました。

そのなかで、伊藤綾氏とコンスタンス・セレニ氏が、山川菊栄の二つの著作を訳しています。そのうちの一点が今回スイリ氏がとりあげた「人種的偏見・性的偏見・階級的偏見」(Préjugés de race, préjugés de sexe, préjugés de classes)であり、もう一点が「満州の銃声」(Coups de fusils en Mandchourie, 『婦人公論』11月号、1931年)です。お二人とも現在ジュネーヴ大学文学部東アジア学科で教鞭ととっておられます。

 このアンソロジーのあと、山川に言及したスイリ氏の論文「Critiquer le colonialisme dans le Japon d’avant 1945Criticising Colonialism in pre‑1945 Japan)(1945年以前の日本の植民地主義を批判する)」(初出はCipango 18, 2011年, 189‑236,英語版2015年)も出ており、スイリ氏が山川菊栄に触れる可能性もあるかもしれない、とかすかな予想はしていたのですが、山川菊栄だけに焦点をあてて紹介してくださるとは想定外のことで大変驚き、フランス人の日本研究者が半数以上集まる会場に向けられた講演として感銘を受けました。成田龍一氏(日本女子大学名誉教授)のコメントでは福沢諭吉を代表とする明治の知識人が帝国主義、植民地主義の拡大とともに「人種」から「民族」へと用語を変えていったことを指摘され、交差差別を認識していた山川菊栄の視野の広さを指摘されました。戦後、その継承は森崎和江や宮田節子のなかに見いだせることを紹介されました。

続くセッション「フェミニズムとジェンダー:日仏の比較」では、日仏会館フランス事務所で平塚らいてう研究をされていたころ日仏女性研究学会との交流もあった、クリスティーヌ・レヴィ氏(ボルドー・モンテーニュ大学名誉講師)が上野千鶴子氏の著作『生き延びるための思想 新版』(岩波現代新書、2012年)のフランス語訳監修(Une idéologie pour survivre – Débats féministes sur violence et genre au Japon, Presses du Réel (Les); Illustrated édition , 2021)を通じた考察について話されました。従来のように暴力の被害者あるいは本質的平和主義者としてだけでなく、戦争加担者となり抑圧者にもなりうる女性たちの登場に向かい合い、ジャンダー平等が弱者から強者への転換で終わるのではなく、弱者の解放を進めていくべきとの上野氏の思想について、トランスナショナルに展開する展望を情熱的に披露されました。なお、講演予定でしたが残念ながら欠席となってしまった、ファヨル入江 容子氏(甲南大学文学部講師)のエルザ・ドルラン『人種の母胎』をめぐる考察は下記の参考リンクにあげた論考PDF版で読むことができます。

ところで、あまり注目されてこなかった山川菊栄とフランスの関係について若干付け加えます。菊栄の父親・森田龍之助は、陸軍の通訳職を経て、養豚に着目した千葉県令船越衛の欧州視察に随行し豚肉加工技術を深め、帰国後、講演録『養豚新説』で豚博士という異名をとるほどの人でした。その影響で菊栄の母親もフランス語を学んでいたことから、家庭環境のなかで菊栄もフランス語に親しんでいました。初期の翻訳にはアナトール・フランスの著作もありますが、これは私淑していた慶應大学教授の馬場孤蝶が所持していた英語版全集からの重訳だったと考えられます。しかし、馬場を通じてそれに触れていたことは菊栄の思想形成において看過できない重要な点があると思います。記念会サイト『資料部情報』で来年公開予定の次号でお読みいただけるよう準備中です。

シンポジウムの記録はいずれ日仏会館サイトの動画アーカイブに掲載される可能性がありますので、各自でチェックしてみてください。 (山口順子、日仏女性研究学会会員)

*参考 ファヨル入江 容子「エルザ・ドルラン『人種の母胎(マトリックス)』における「妊娠・出産(マテルニテ)」の問題」『大原社会問題研究所雑誌』(No.785、2024年3月)

潮田登久子さん撮影、山川菊栄文庫資料を含む写真集が刊行されました。

11月2日は山川菊栄の命日、3日は誕生日とSNS上でも発信してくださる方が少なくありません。今年の11月も何か朗報があるかも、との予感がありましたが、神奈川県立図書館の方が潮田登久子さんの写真集『改修前 前川國男設計 神奈川県立図書館』が刊行されたとお知らせくださいました。さっそく買いに行くと発行日は11月4日と書かれていました。

去る3月3日、県立図書館でのWikigap in Kanagawaで、潮田さんが撮影された山川菊栄文庫資料のことをご紹介しました。そのときは、レミントンジュニアの菊栄愛用タイプライターの撮影エピソードをお話ししました。

米国のレミントン社が製造したポータブルタイプのレミントンジュニアで、おそらく山川菊栄は『社会主義研究』(6号、1922年1月)から英文論文「Women in Modern Japan」(近代日本の女性)の連載を開始します。おそらくこれはタイプライターで打ったものと思われ、製造番号がわかれば山川菊栄が入手した時期も絞られてくるはずなのですが、シリアル番号を打ったプレートがなかなか見あたらなかったのです。そのことをお話したら、お連れ合いの島尾伸三氏がタイプライターをひょいと持ち上げられ、その途端にプラテンが動き、チーンという澄んだ音色が地下の作業室に響き渡りました。まさしく菊栄が打っていたときの音色だと思われ、なんともいえない感動を覚えたことが鮮やかによみがえる作品です。敷物は山川振作夫人の美代さんの名前が縫い付けてあるふろしきです。

ほかに、アウグスト・ベーベルの名著を菊栄が英語版から重訳、完訳した記念碑的な『婦人論 婦人の過去・現在・未来』(1923年3月、アルス社初版本)の金色の背文字のアップ。しゃれたゴシックの飾り文字はおそらくはアルス社の装丁を一手に引き受けていた山本鼎(かなえ)のデザインと思われるものです。アルス社は北原白秋の弟の出版社で、その年の関東大震災により壊滅的な打撃を受けるのですが、紙型が奇跡的に残っていたため、翌年再版することができました(再版の菊栄自序)。それから、女性の姿を影絵のように表紙に配置した米国女性局資料。戦前に取り寄せられていたものの一つで、アメリカの女性のあらゆる職業実態を調査し作成されていました。そして花の意匠が愛らしい日記帳、横浜地方法務局による人権擁護委員の木製看板の4点が写真集に収められています。

作品解説で残念な点を一つ。山川菊栄が社会主義を学んだ人として、「堺利彦・幸徳秋水、大杉栄」(p146)と書かれています。しかし、まずは初めて菊栄が社会主義について理論的にまとまった講演を聞き、結婚、均菊相和すと言われた山川均については、死別の後、息子の振作氏とともに思想の全貌を『山川均全集』(勁草書房)に編んで世に送り出しました。そして、雑誌『近代思想』でベーベルの訃報を書き『婦人論』の重要性を説き、『恋愛論』を共訳した堺利彦、ついで、大杉栄や先述の英文論文を書くことを勧めたという片山潜といったところになるでしょう。


ともあれ、神奈川県立図書館の改修前の歴史的空間と、蔵書のさまざまな表情を巧みに引き出した作品集となっています。猿田彦珈琲株式会社による発行で、図書館のカフェだけでの取り扱い販売となっています。お出かけの時にぜひお買い求めください(税込・3850円)。(山口順子)

11月17日(日)に「山川菊栄カフェ」(わが住む村 読書会第5回)を開催します。

 「ブックカフェで山川菊栄について語りあう企画をやっています。」とお話しすると、「ぜひ行きたい、いつですか」と声をかけていただく機会が増えました。さまざまな本やメディアでとりあげられている山川菊栄。静かにファンがひろがっているようですが、地元でなかなか集う機会がないようです。また、この藤沢にお住まいの方々でも、戦前の藤沢が書かれている「わが住む村」をはじめて知ったとおっしゃる方もいて、読書会に興味をもっていただいていることを感じます。いつものように、石黒さんから前回のレポートが届きました。

さる9月15日(日)14時から、藤沢・柄沢橋にあるブックカフェBOOKYで、第4回の「わが住む村」読書会を開催しました。初めての方が3人も参加してくださり、あわせて10人での賑やかな読書会になりました。


 本書冒頭の「雲助の東海道」の続きから「助郷の禍」までを読みました。前半は、石黒のつたない朗読でしたが、後半は、今回から参加してくださった一龍斎春水(はるみ)さんが朗読してくださいました。麻上洋子さんの名で声優としてもご活躍の春水さん。宇宙戦艦ヤマトの森雪の声で、山川菊栄の文章が読まれるのを聞くこのうえない機会となりました。春水さんは次回も朗読してくださるとのことですので、そちらも楽しみです。

 本文は、人々が行き交っていた東海道の街道筋が、鉄道開通を迎えて変化していくさまを描いているところです。
 明治19年の東海道線開通と藤沢駅開設時、「汽車には大反対」「停車場を宿場近くに(設置されるのは困ると)さんざんお願い申して(…)家一軒ない桃畑のまんなかに(駅を開設することになった)」という車力のお爺さんの話が引用されています。
 このように、鉄道が建設された時に反対の訴えがあったため、線路や駅が既存の中心部から遠ざけられた、という話は全国各地にあるようです。山川菊栄も「駅が町に遠い野原の中にポツンとあったりするのはその時代の記念なのです」などと記しています。しかし、近年の鉄道史研究では、この点の再検証が進められており、総称して「鉄道忌避伝説」などとも呼ばれているところです。さて、藤沢ではどうだったのか。読書会の場で、石黒から、調べられる限りで見つけた資料などをご提示しました。
 特に、藤沢市史(第三巻資料編 昭和50年刊)の記述の元とされている「藤沢駅史」が、昭和17年に当時の駅長が「土地の古老」に記憶をたどってもらって書いた、などとされていることが分かり、この「わが住む村」を書くために山川菊栄が聞いて回った時期(初版刊行が昭和18年12月)と一致もしくは先行するという発見があったことをお話ししました。

 歴史的な事実の追求は専門化の研究に委ねたいところですが、現代の目で読み直す重要さをあたらめて感じたところです。

 

 次回、第5回は、11月17日(日)14時から。おなじくBOOKYでおこないます。参加費は無料ですが、カフェでのオーダーをお願いします。ブックカフェ営業中ですので、ふらりとお立ち寄りになるのでかまいません。初めての方、大歓迎です。ただし椅子のご用意の都合もありますので、できればご連絡いただけると助かります。

 岩波文庫版の『わが住む村』が入手できないかもしれませんが、国立国会図書館のデジタルコレクション(登録者のみの個人送信)https://dl.ndl.go.jp/pid/9539136でも見ることができます。

文京区立森鴎外記念館の特別展に山川菊栄と山川均のはがきが展示されています。

「111枚のはがきの世界~伝えた思い、伝わる」と題した、東京の文京区立森鴎外記念館の特別展に、山川菊栄と山川均のはがきが展示されています。

期間は、来年2025年 1月 13日までとなっています。

鴎外をはじめ、明治から昭和にかけての文学者、美術家、ジャーナリストなど多士済々のはがきが百花繚乱のごとく並べられています。

鴎外記念館のある千駄木から根津、谷中のエリアは寺町で、谷中の墓地にかけて著名人のお墓も点在しています。秋晴れの散歩日和を選んでおでかけください。

料金・休館日・アクセスは同館サイトをお確かめください。https://moriogai-kinenkan.jp/

山川菊栄の生涯と業績のパネルをどうぞご活用ください。

先日、船橋市で開催された男女共同参画フェスティバル(9月7日)に、「山川菊栄の足跡をたどるパネル展」企画のため、記念会作成のパネルを貸し出しました。

このパネルは、2010年、生誕120年を記念して作成したもので、A1サイズ (841×594センチ)で、7枚と年譜1枚による生涯と業績を写真つきで説明するものとなっており、今回、山川菊栄賞一覧とともに山川菊栄記念会を説明するパネル1枚を新たにしました。合計9枚となります。

<パネルの内容>

山川菊栄と記念会について

生い立ちと思想形成
母性保護論争から 「婦人部」論争まで
戦時下の山川菊栄
労働省婦人少年局長としての活躍

その仕事
山川菊栄と海外
『婦人のこえ』 と婦人問題懇談会
年表

船橋ではパーテーションをうまく利用された展示を見ることができました。A1の大きさを並べるとかなりの壁面長が必要になるとの印象をもちますが、パーテーション表裏を利用すると、もう少し狭い空間でも展示することが可能かと思います。

貸出料は2週間程度で5000円(税込み、往復移動費用は別途ご負担いただきます)となっています。どうぞご活用くださいますようお願いいたします。

船橋市の第27回男女共同参画フェスティバルで山川菊栄のパネル展示やドキュメンタリ―映画の上映が予定されています

9月7日(土)に船橋市で第27回男女共同参画フェスティバル~心のキャンバスに笑顔をえがこう!~が開催されます。
場所は船橋駅前・船橋フェイス ビル5階、6階の男女共同参画センターほか各所となっています。くわしくはこちらからプログラムをダウンロードできるようになっています。

8月30日から山川菊栄記念会作成のパネル展示(船橋市男女共同参画課)があり、9月7日15:00にはふなばし女性会議によるドキュメンタリー映画「姉妹よ、まずかく疑うことを習え」(山上千恵子監督作品)の上映(きららホール)もあります。

今回のパネル展示に合わせて、パネルの1枚を改訂し、山川菊栄受賞作品タイトルをすべて掲載した最新内容のものにしました。

どうぞ船橋のフェスティバルにお出かけください。

藤沢で「山川菊栄カフェ」(読書会)第3回が開催されました。


藤沢のブックカフェBOOKYさんで毎月開催している「山川菊栄カフェ」。7月に「わが住む村」の読書会が開催されました。石黒さんより報告が届きましたので掲載します。


 月に1回でいいから山川菊栄について語り合う会を開催したい、そう思って読書会を始めました。7月は27日土曜日、前回から引き続いて参加していただいた方5人。加えて、前回開催のこのページを見て来て下さった方が1人。「読書会を開催しているなら行ってみたい」と仰って、東京から来てくださいました。
 冒頭は、最近の山川菊栄に関する話題共有。最近は海外の研究者から、山川菊栄に関する資料を求める依頼が届いていると、山川菊栄記念会の山口さんから報告がありました。時代や国境を越えて、山川菊栄があらためて注目されていることを知りました。
 読書会は「わが住む村」の冒頭から。つたないながらも石黒が朗読させていただき、都度聞きたいことや話したいことを語り合う、とても濃密な時間になりました。
 特に、ひとりで読んでいたら疑問に思わずに素通りしてしまうところを、他の方が指摘してくださって、初めて気づくことがあったり。また、声に出して読むことで、文章のリズムのよさが分かったり。途中、お話しが寄り道に入ってしまったりして「雲助の東海道」の節の途中までで時間となりました。

 次回、第4回は、9月15日日曜日14時から。「雲助の東海道」の続きから「助郷(すけごう)の禍」「黒船来る」あたりまでを精読します。できれば事前にお読みの上、お集まりください。岩波文庫版が入手できないかもしれませんが、国立国会図書館のデジタルコレクション(登録者のみの個人送信)https://dl.ndl.go.jp/pid/9539136でも見ることができます。

 また「わが住む村」に限らず山川菊栄の話もたくさんしたいと思います
 参加費は無料ですが、飲み物もお菓子もおいしいBOOKYさんでのオーダーをお願いします。

8月31日に開催される「鈴木裕子さんを囲む勉強会」のご案内をいただきました

前のサイトニュースで各所での情報が発信されていることをお知らせしましたが、鈴木裕子さんから『山川菊栄評論集』(岩波文庫)が6刷となったことをお知らせいただきました。

また合わせて、「鈴木裕子さんを囲む勉強会」のご案内も届いています。

中央大学八王子キャンパスで、8月31日(土)2時から、「「山川菊栄 フェミニズム思想 戦時下の闘い」とのテーマでお話しされるそうです。

どなたでも参加できる会で、対面とオンラインのハイブリッドで行われます。

参加希望の方は、こちらのPDFをお読みいただき、リンクのあるフォームから申し込みをなさってください。

付記:8月31日の勉強会は、台風10号のため、10月26日(土)に延期されました。