国立映画アーカイブの女性映画人特集(第3回)で、山上千恵子監督の作品が上映されます。

東京京橋の国立映画アーカイブでは、一昨年から女性映画人特集の上映会が続けられてきました。2023年の「日本の女性映画人(1)―無声映画期から1960年代まで」、2024年の「日本の女性映画人(2)―1970-1980年代」に続き、今年の企画は、監督、制作、脚本、美術やスクリプターなど映画を支えてきた女性たちの活動に光をあてた特集となっています。

2月11日から3月23日までの開催で、山川菊栄のドキュメンタリー映画の監督である山上千恵子さんの作品が2点上映されます。「ルッキング・フォー・フミコ」(1993年)は、栗原奈名子さんと瀬山紀子さんによる作品。そして瀬山さんとともに山上さんがたちあげた「女たちの歴史プロジェクト」の最初の作品「30年のシスターフッド 70年代ウーマンリブの女たち」(2004年)とともに、2月26日と3月23日の上映となっています。

また、羽田澄子監督の「女たちの証言―労働運動のなかの先駆的な女性たち」(1996年)の上映もあり、これは、大正・昭和の名だたる社会主義労働運動家たちが集まった1982年の座談会を中心にした大変貴重な記録映画であり、近現代史の資料といえる映像です。鈴木裕子さん(山川菊栄記念会世話人)も協力し座談会に参加されています。((2月26日、3月11日上映予定)

上映時間など詳しいプログラムは、国立映画アーカイブサイトhttps://www.nfaj.go.jp/film-program/women202502/でご確認ください。

インターネット上のジェンダーギャップを解消しよう!-WikiGap in Kanagawa 2025が山川菊栄☆生誕135年☆とともに開かれます。

WikiGap(ウィキギャップ)は、インターネット上の百科事典「ウィキペディア」の女性に関する記事を充実させ、インターネット上のジェンダーギャップ解消をめざす世界的な活動で、日本国内では2019年から東京、大阪、神奈川(横浜)で始まりました。
神奈川ではコロナ後も開催を続けて、今回で4回目となります。

桃の節句を機に、神奈川のWikiGapに参加してみませんか? 午前中は、生誕135年を迎えた山川菊栄のこの1年をホットな最新情報とともにお伝えするミニレクチャー、午後はワイワイガヤガヤ教えあい助け合いながら、Wikipediaの記事をまとめていきます。初心者の方も大歓迎です。  

主催:WikiGapかながわ実行委員会
共催:神奈川県立図書館 
後援:山川菊栄記念会
<ダウンロードできます>*チラシ *プレスリリース資料

◆日時:2025年3月2日(日) 10時00分から16時30分
◆場所:神奈川県立図書館 本館4階 学び⇔交流エリア
https://www.klnet.pref.kanagawa.jp/user…/access/yokohama/
◆定員:20名(先着順)
◆参加費:無料
◆申込み期間:2025年2月27日(木)まで
◆申し込み方法:こちらのフォームからお申し込みください。複数人で参加希望の場合、お手数ですがお一人ずつお申し込みください。https://forms.gle/DdV8amtoQR7UxxaAA
※FBイベントページへの参加表明のみでは申し込み扱いになりませんのでご注意ください。

◆問い合わせ: kipring アットマーク mcn.ne.jp (田子)

◆プログラム 9:30 受付
10:00 開会
ミニレクチャー
・WikiGapについて(WikiGapかながわ実行委員会)
・「☆生誕135年☆いま、もっと新しい山川菊栄を! ここ1年の新たな動きを中心に」(山川菊栄記念会・山口)


11:30-13:00 昼休み

13:00

ウィキペディアの編集方法について(WikiGapかながわ実行委員会・田子)
神奈川県立図書館の使い方・資料紹介(県立図書館)
調査・執筆

16:00 ふりかえり
16:30 閉会

◆ウィキペディアアカウントの事前取得について
ウィキペディアに記事を作成・投稿するためには、アカウントが必要です。お持ちでない方は、事前に取得のうえ、ご参加ください。
PCの場合、ウィキペディアのページ右上「アカウント作成」から。スマホの場合、左上のメニューの「ログイン」からアカウントの作成ができます。

◆持ち物(可能な方のみ。お持ちいただかなくてもご参加いただけます)
ノートパソコンもしくはタブレット端末、パソコンの電源ケーブル
※Wi-Fi環境あり

◆昼食について
会場(県立図書館本館4階学び⇔交流エリア)では、ご持参いただいた食事をとることができません。昼食は、次のいずれかの方法でお済ませください。昼食休憩は長めに90分確保します。

1)昼休み中に近隣の飲食店に行く(飲食店の多いエリアまでは片道徒歩10分程度かかります)
2)持参、あるいは近隣の売店・コンビニ等で調達し、県立図書館本館のリフレッシュエリア(飲食可能なスペース)を利用する。ただし休日のため混雑が予想され、空席が確保できない可能性あり。
3)会場近くにあるカフェ「chant」https://www.instagram.com/chant_yokohama/ を利用(ランチプレート1200円程度。席数が限られているため事前申し込み推奨。申し込みフォームにてお知らせください)

昨年と同様、席数に限りがありますので、お申し込みは早めにお願いします。

『婦人のこえ』復刻版が六花出版から刊行されました。

昨年のNHK朝の連続テレビ小説「虎に翼」のモデルで、日本で最初に弁護士となる女性たち三人のうちの一人、久米愛が『婦人のこえ』に登場していることは、以前このニュースで紹介しました。戦後のGHQ占領下、山川菊栄は労働省婦人少年局長として、全国の婦人少年室との情報の共有化をめざして『婦人少年局月報』を発刊しました。そして、労働省を退いてから社会党左派の準機関誌として創刊したのが『婦人のこえ』でした。

その『婦人のこえ』(1953年10月号~1961年9月号)の復刻版がこのほど六花出版から刊行されました。全8巻で昨年11月に4巻が、鈴木裕子さんの解説とともに配本され、のこり4巻が今年の5月とのことです。大学図書館やお近くの公共図書館で、ぜひリクエストをお願いします。

『婦人のこえ』の編集過程については、実質的に編集実務を一手に引き受けていた菅谷直子さんが最も詳しく書き残しています。いよいよ刊行経費に行き詰ったとき、山川菊栄が夫・均の遺品であった古く重いオーバーコートを手にして、知り合いの男性たちに買い手を求めるエピソード(『不屈の女性‐山川菊栄の後半生』海燕書房、1988年)はとても印象的です。厳しい言論弾圧を経験した菊栄にとって、自由に心おきなく執筆できるメディアを女性たちの手で作り出すことは長い間夢にみていたことだったにちがいありません。このエピソードからは、なんとしても刊行を継続させたいという菊栄の強い意思が感じられます。

晩年の山川菊栄と同居し、さきごろ亡くなった岡部雅子さんもこの『婦人のこえ』に着目し、山川菊栄文庫では欠けていた分について各機関を調査して丹念に総目次をつくり、菅谷さんの晩年の著書『来しかたに想う』(岡部氏と佐久間米子氏の共同刊行による私家版)に掲載しました。

山川菊栄記念会の代表だった故・井上輝子さんは、この岡部さんの仕事を生かしたいと考えて、関係者の了解のうえ、「日本婦人問題懇話会の軌跡サイト」内でオープンソースとしてPDF公開するようにしたのは、2016年9月のことでした。『婦人のこえ』終刊後、すぐに立ち上げていったのが婦人問題懇話会でした。このファイルは、Ctrlキー+FでPDF内のテキスト検索も可能です。六花出版復刻版と合わせて、ぜひご活用いただければと思います。参照引用条件は、第1頁下の表示にある、クリエイティブコモンズ4.0(非営利・参照元表示・改変禁止)ということでよろしくお願いいたします。

今年は山川菊栄の生誕135年です。どうぞよろしくお願いいたします。

あけましておめでとうございます。

2025年は、1890年11月3日に生まれた山川菊栄の生誕135年にあたる年となります。巷では昭和100年といってみたり、また戦後80年という節目ともいわれますが、明治、大正、昭和を生きた山川菊栄とともに、それらを横断しながらジェンダー平等の進展を見つめ、未来への一歩が刻まれるような年になればと思います。

この記念会ニュースは2022年に開始以来2年半を経過しました。

昨年のトピックを振り返ると、3月開催のWikigap in Kanagawaで山川菊栄にフォーカスした講演会が組まれました。Wikigapの活動のおかげでWikipageの山川菊栄もとても充実したものになりました。これに合わせて『資料部情報』で「山川菊栄の翻訳文献一覧表—原著とその作者にみる国際性」(ベータ版1.0)を公開しました。

4月に藤沢のBOOKYさんで行われたドキュメンタリー映画上映会を機として、5月から読書会が始まり、毎回10人前後の参加者を得て、「わが住む村」を地元で読みながら11月まで5回続きました。そして12月にはシェア書店BOOKYさんの一画に山川菊栄の棚が設けられました。小さな一歩ですが、山川菊栄が戦中戦後と生活した藤沢で、こうした活動がうまれたことは本当に大きなできごとです。運営関係者のみなさま、そしてこの記念会ニュースをみて、BOOKYさんに足を運んでくださったみなさまに改めて感謝申し上げます。次回1月11日に開催します。参加者を受け付けています。

なお、あい女性会議神奈川のメンバーを中心とした山川菊栄の読書会もほぼ月1回のペースで継続中です。すでに岩波文庫の山川菊栄評論集を読み終わり、『山川菊栄集 評論篇』(岩波書店)から選択した読み方で第1巻を終え、昨年末第2巻に入りました。

2月にはすてっぷ・とよなか男女共同参画推進センターで、山上千恵子監督も参加してのトークショーとともに、ドキュメンタリー映画「山川菊栄の思想と活動 姉妹よ、かく疑うことを習え」の上映がありました。3月には、杉並の「国際女性デーミモザまつり」に市川房枝と山川菊栄のパネル展示、5月に同じく杉並で「杉並女性団体連絡会」の読書会があり「自由社会における妻と母」『山川菊栄評論集』よりを輪読。つづく6月には千代田区男女共同参画センターでのパネル展(その後日比谷図書館でも展示)、9月の船橋市の男女共同参画フェスティバル、10月から開催の鴎外記念館企画展での山川夫妻のはがき展示(1月13日まで開催)と、国内各所でさまざまな企画があり、山川菊栄を取り上げていただきありがとうございました。船橋市では、山川菊栄記念会が作成したパネルA1版9枚の展示と、ドキュメンタリー映画の上映も行われました。

山川菊栄誕生月である11月には、日仏会館100周年記念の日仏シンポジウムで元ジュネーブ大学教授のピエール・F・スイリ氏により山川菊栄が大きく取り上げられました。1924年に菊栄が発表した「人種的偏見・性的偏見・階級的偏見」(『雄弁』1924年6月号)」がインターセクショナリティ(交差性)の先駆的な作品であることを大きくアピールされました。山川菊栄文庫には仏語辞書も入っており、彼女とフランスとの関係の探求は今後の新しい課題となることでしょう。

2024年は2月に赤松良子さん、3月に有賀夏紀さん、そして12月に岡部雅子さんと山川菊栄ゆかりの方々とのお別れの知らせが続きました。改めてこころからご冥福をお祈り申し上げます。

この一年のスタートにあたり、先人のみなさまの足跡を大切にしながら、山川菊栄についてさまざまな情報発信に努めていきたいと思う次第です。生誕135年関連のイベント企画がありましたら、お気軽に事務局までお問合せいただければ幸いです。また、こちらの記念会ニュースでも広報させていただきたく思います。どうぞよろしくお願いいたします。

岡部雅子さんを偲んで-2024年の最後に

 
 『山川菊栄と過ごして』の著者、岡部雅子(つねこ)さんが12月6日に93歳で逝去されました。民間会社に勤めたのち、中学校の数学教諭をされていましたが、山川振作氏と結婚した美代さんの姪という縁戚関係から、山川均と死別したあと一人暮らしを始めた菊栄と同居されました。藤沢市弥勒寺(みろくじ)の家で身辺の世話や来客の取り次ぎといった秘書代わりの雑用をされ、亡くなる直前まで寄り添っていました。
男の子一人しか子どものいなかった山川菊栄にとっては、雅子さんを筆頭とする桂子さん、美子さん、佑子さんの四姉妹は娘でもあり孫でもあり、またフェミニズムの同志でもあった、ある意味シスターフッドで支えあう間柄でした。雅子さんは菊栄を「おばあちゃま」と呼んでいたそうです。

岡部雅子著『山川菊栄と過ごして』


二人の出会いは、1943(昭和18)年に成城の柳田国男邸を菊栄が訪問しその帰りに岡部さんのご実家に寄ったときで、岡部さんが12歳のときだったとのことです。柳田邸には『わが住む村』と『武家の女性』の出版をあっせんしてくれたその謝礼を述べるため訪れたのでした。

戦後、疎開先から大学入学を機に実家に戻った岡部さんは、おじにあたる振作氏の家を相談先として頼り、また藤沢の山川夫妻のもとにも時折訪れていました。自然あふれる周辺散策や庭の手入れ、ニワトリの世話などで夫妻と過ごし、二人がかわすきれいでていねいな言葉を通して問わず語りの教えを受ける、お茶の時間を大切にしていました。そして、山川均が亡くなるときの最期のつぶやきを聞き、葬送の手伝いもしました。いつしか山川菊栄の生き方に畏敬の念をいだき、山川菊栄の足跡を世に伝えることをライフワークと決めていた岡部さんは、山川菊栄と藤沢の弥勒寺での共同生活をするようになるのです。

1959年に菊栄・振作の母子が企画した、山川均の全著作集編さんのため、岡部さんはその著作カードづくりに着手。その傍ら菊栄のカード作成もはじめました。そして「均の全集刊行が終わったら、私は菊栄の評論やメッセージを、年代順に並べて、世に出したいと考えていた」と書いています。従って、岩波書店から出版された『山川菊栄集』の構想は岡部さんが早くからもっていた ということになります。二年ほどで作業を終え、 著作リスト一覧表の冊子を作ることで均全集出版へ向けての下準備が整ったあと、菊栄の著作リストカードの作成を始めたのは、1960年代初頭からということになります。均と比べて多種多様な媒体に寄稿した菊栄の著書の出典調査は難航したと言います。自分の書いた記事の書誌を記すことがないままのこともあり、不明な点は本人の記憶を確かめながら、仕事の傍ら国立国会図書館をはじめ各所を尋ねながら岡部さんは地道に調べていきました。

今日ではWeb上の書誌検索があたり前のようになりましたが、国立国会図書館のフロアでいつからか閲覧用パソコンデスクにとって変わり姿を消した、あの茶色い図書館カードの函の列をめぐって、重い木のボックスを引き出しカードをめくって請求番号を探し・・・という手作業を繰り返す岡部さんの姿が目に浮かびます。二十年近いその蓄積に外崎光弘氏の応援を得て完成したのが労作「山川菊栄著作目録」(外崎光弘 岡部雅子編『山川菊栄の航跡』ドメス出版、1979年所収)であり、それが山川菊栄研究の基礎となったことは間違いありません。なかでも、戦後に本人が国立国会図書館に寄贈した山川菊栄訳『大戦の審判』(今日ではドイツの法律家リヒャルト・グレリンク著と判明)を丁寧にみて、ペン書きで残した書入れについて翻訳出版の秘された経緯を示す資料として記したことは大きな功績だと思います。


寝食をともにした岡部さんでしか知り得ない、人間・山川菊栄が著されている『山川菊栄と過ごして』(ドメス出版、2008年)は研究上必読書といえると思います。歩行困難になっても選挙に行くことを欠かさなかった山川菊栄をリヤカーに莚を敷いて投票所の村岡小学校まで連れていき、普通の折り畳み椅子に腰かけさせてひきずるエピソードは圧巻です。

また、日常的な言葉の速記的な書き取り は断片的とはいえ、オーラルヒストリーの一面をもっています。戦争末期の菊栄と均の疎開について、山川振作氏の回想テキストでは妻の安全な出産のためと「母にウソをついて」疎開させ、戦時混乱における官憲からの暴虐の恐れから逃したいという、自分の「真意」を両親は知らなかったと書かれています。それをテキストの表層で解釈している後年の研究に対して、岡部さんは菊栄本人からその「真意」を暗黙のうちに見抜いていた、という言葉を聞き出していた事実を明示しました。そして、振作氏の回想だけを引用すると誤った解釈になると書いていますが、まさしく深層を知る人ならではの警告となっています。

岡部さんご自身は、定年まで藤沢市立中学校に数学教員として勤務し、多くの生徒を育て、卒業生やお世話になったという保護者にとっては「岡部先生」でした。菊栄の晩年は、菊栄のケアのために、近くの学校への転勤を希望したとも語っておられました。
菊栄没後は、あらゆる機会に山川菊栄の功績を記録し、広めるお仕事に邁進されました。お元気なうちは山川菊栄記念会 のイベントは皆勤でいらっしゃいました。
そして、「菊栄の思想を生きる」ことを実践されていたと思います。憲法改悪の動きに対抗する女性たちのネットワークに熱心に参加をし、ニュースレターの発送などに、東京まで通っておられました。また女性を政治の場に送るという活動も熱心にされていました。もちろん、選挙に行くことも欠かさず、選挙会場まで行くのが不安と、介助のリクエストを受け、ご一緒したこともありました。また女性市議の始めた「障がい者」の作業所には、晩年までボランティアとして通っておられました。

愛用の車はスポーツタイプのマニュアル車、それを飛ばして江の島の神奈川県立女性センターにあった山川菊栄文庫の資料整理にも通っておられました。その様子は、山上千恵子監督ドキュメンタリー映画「姉妹よ まず かく疑うことを習え―山川菊栄の思想と行動」の一場面として記録されています。この整理の過程で50数冊の整理ノートを作成されています。
現在、山川菊栄文庫の資料整理をする中で、岡部さんの整理ノートの仕事の大きさを改めて感じています。著作リストを最初に作ったしごと、そして雑誌『婦人のこえ』総目次の編さんとともに、まさに山川菊栄のドキュメンタリストとして生涯を捧げた活動に、心から敬意を表します。

いまごろは、山川菊栄とお茶でも飲みながらゆっくりお話しできているでしょうか。それとも似合う着物を選んであげて着るのを手伝い、その笑顔をまた撮影しようとしているのでしょうか。きっと、世の中を憂え、女性たちに熱いエールを送ってくださっているのではないかと思います。
心からご冥福をお祈り申し上げます。(山口順子、山田敬子)

*参考
岡部雅子「『山川菊栄著作目録』発行にあたって」『婦人問題懇話会会報』28号、1978年6月、p72
外崎光弘 岡部雅子編『山川菊栄の航跡』ドメス出版、1979年
岡部雅子「故山川菊栄をしのぶ」『婦人問題懇話会会報』34号、1981年6月、pp.34-35
岡部雅子『山川菊栄と過ごして』(ドメス出版、2008年)
岡部雅子作成『婦人のこえ』総目次(菅谷直子『来しかたに想う-山川菊栄に出会って』、岡部雅子、佐久間米子による私家版、2005年、pp.58-107所収)
総目次PDF版は日本婦人問題懇話会の軌跡サイト内の菅谷直子さんのページからダウンロードしてご覧いただけます。


*在りし日の岡部雅子さん 2016年4月2日・第2回婦人問題懇話会同窓会ビデオ(19分50秒くらいから『婦人のこえ』総目次作成を褒賞した婦人問題懇話会に対して短い答礼挨拶をされています)https://sites.google.com/view/fumonkon/reunion

菊栄カフェ読書会@藤沢からのお知らせ

11月17日に開催された、第5回菊栄カフェ・読書会の報告ですが、8名のみなさまのご参加がありました。会場のBOOKYさんにはいつものように御協力いただきありがとうございました。

 前半は、山川菊栄関連の話題提供・共有として、記念会サイトで公開している「山川菊栄記念館*資料部情報」を印刷したファイルなどのプリントアウトをBOOKYさんに来店した方が、いつでも読んでもらえるように、12月1日から新たにレンタルスペースの棚一つに置いていくことになりました。

また、日仏会館百周年記念日仏シンポジウム「フランスにおける40年の日本研究、これからは?」(11/14-15)二日目にあった「人種差別と植民地主義を再考する」の中で、ピエール=フランソワ・スイリ(元ジュネーブ大学教授)氏が、戦前の日本において、山川菊栄だけが、人種・性・階級の差別をあわせて論じていたと紹介されたとのことで、その根拠となる山川菊栄著「人種的偏見・性的偏見・階級的偏見」(『雄弁』1924年6月号掲載)について、朗読をつうじて共有しました。

 後半は、村岡公民館に掲示してある弥勒寺周辺の書き起こし地図の写真提供があり、みんなでみました。「山川均邸」などがかかれています。そのあと、「わが住む村」の続き(p27~p39)から「助郷の禍」「黒船来たる」を一龍斎春水さんの朗読で読み、引用と菊栄の文章の絶妙なバランスに気づかされました。

菊栄の本棚
BOOKYさんの棚「シェア型書店」をオープンしました。



12月1日からいよいよ、会場としているBOOKYさんの本棚をレンタルし、「山川菊栄記念会」書店をオープンしました。記念会の編集出版書籍をはじめ、菊栄の著作や、女性関連書籍を販売します。『わが住む村』岩波文庫の古本も何冊か置きましたので、お持ちでない方はここからお求め下さい。
このほか、菊栄資料のプリントアウトもこの棚に置いておきますので、BOOKYさんにぜひご来店くださって、手に取って読んでいただけたらと思います。
BOOKYさんの営業日・時間はこちらをご確認ください(金土日月営業です)。

*次回読書会は2025年1月11日(土曜日)14:00から開催です*
BOOKYさんで何か好きなものをオーダーしてくだされば、どなたでも参加できます。イスの用意がありますので、初めての方はご連絡いただければ幸いです。

*参考  文中の各種文献がダウンロードできるリンクをご紹介します。

・山川菊栄著「人種的偏見・性的偏見・階級的偏見」(『雄弁』1924年6月号掲載。)が読めるのは、

田中寿美子, 山川振作 編集『山川菊栄集』3,岩波書店,1982.4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12144384/1/139

鈴木裕子 編『山川菊栄女性解放論集』2,岩波書店,1984.5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12143124/1/45

・棚においてあるPDFのダウンロードができる場所:オープンアクセスでどなたでも自由にお読みいただけるようにしています。

山川菊栄記念会『資料部情報』https://yamakawakikue.org/archives_info/

山口順子「『山川菊栄文庫資料』(神奈川県立図書館蔵)のうち青山延寿出版関係史料概要について」補論で「覚書 幕末の水戸藩への道程」を書いています。(科研B-20H01319「維新政権期の木版刊行物に関する学際的研究およびオープンサイエンスの推進」2020年度~2023年度 研究代表・国文学研究資料館研究部・総合研究大学院大学 藤實久美子教授)の研究サイト内 からダウンロードできます

日本アメリカ史学会例会で「有賀夏紀さんを偲ぶ会」が開かれました。

この記念会ニュースでもお知らせしましたが、さる3月7日に亡くなられた有賀夏紀さん(山川菊栄賞選考委員、2022年から世話人)を偲んで、12月15日(日)に日本アメリカ史学会例会が専修大学神田キャンパスで開催されました。記念会からは事務局長山田敬子が山川菊栄賞受賞スピーチやドキュメンタリー映画『姉妹よ、かく疑うことを習え』シナリオの翻訳エピソードなどを交えながらありし日の有賀さんの思い出をお話し、記念会の活動をとても大切にし、また楽しんでおられた、その横顔を紹介しました。詳しいプログラムは同会サイトでご覧ください。

広島の加納実紀代資料室「サゴリ」を訪問しました。

2019年2月22日、加納実紀代さんは亡くなりました。加納さんは『銃後史ノート』刊行の女たちの現在を問う会メンバーの一員として、第5回山川菊栄記念研究問題奨励金(山川菊栄賞、1985年度)を受賞され、その後、1994年からは選考委員として、また周年行事などの山川菊栄記念会の活動を支えてくれました。山川菊栄記念会(以下記念会)の活動の核は毎年の山川菊栄賞の対象作品の選考でした。山川菊栄賞は2014年の第34回で終了しましたが、労働者運動資料室での山川菊栄賞の選考は、他薦、自薦で寄せられた対象作品から1作を選ぶ作業ですから、大変厳しい議論が毎回繰り広げられました。そうした議論の核にいたのが加納さんでした。一方で、選考委員会では皆さんの持ちよりの美味しいお菓子などの食べながらのコーヒーブレークも楽しみの一つで、その和やかなおしゃべりが弾む中心にも加納さんがいらしたことを懐かしく思い起こしています。その加納さんの個人資料館サゴリ(広島市東区光が丘)訪問が、10月末、やっと実現しました。

「サゴリ」は、韓国語で「交差点」。民族、ジェンダー、植民地主義、戦争加害・被害、原爆の被害・(広島の加害)などの「交差」する処のイメージでの命名と聞いています。まさに「複合差別」、インターセクショナリティーを可視化する場所として2023年3月、開設されました。
広島駅から歩くこともできますが、坂が続く高台にあると聞いていましたので、タクシーで向かいました。レモンハウス1階の資料室は、もともとアジアからきた留学生の宿泊施設だったということゆったりしたで広いスペースで、また窓からは周囲のたくさんの緑の植物、そして広島の街さらには瀬戸内海が臨めるすばらしいロケーションでした。

「サゴリ」では高雄きくえさんが待っていてくださり、施設や展示の概要を説明してくださり、さらに加納さんについてもたくさんお話することができました。高雄さんは広島で「家族社」という出版社を経営し、『月刊家族』を刊行。実は1998年度の第18回山川菊栄賞作、春日キスヨ『介護とジェンダー―女が看取る、男が看取る』の出版元が家族社でした。今でこそ、介護・ケアのジェンダー視点は、どこでも言われますが、1998年にこれに注目した、春日さんのお仕事、刊行された家族社、そしてそれを選考した記念会の先見の明を自画自賛したくなります。

高雄さんと加納さんとの出会いは、加納さんが『女がヒロシマを語る』(インパクト出版会、1996年)を出したあと、高雄さんがすぐに原稿を依頼(「ヒロシマとフェミニズム」)された時とのこと。以来『月刊家族』の巻頭エッセ―を加納さんは10年間書かれたそうです。加納さんは、銃後史ノート以来、女性の戦争加担を常に問題にし、被爆者であったご自身の経験や「ヒロシマ」が被害者としてだけ描かれることに疑問を呈しておられ、特に3・11以降は「フクシマとヒロシマ」をテーマに、原発を許してきた私たちの加害性も問題にしておられました。

2019年に加納さんが逝去され、蔵書の引き取り手を関係者が探したが見つからず、1年後、高雄さんに相談があり、「引き受けることを即決した」そうです。開設資金には、高雄さんの生涯の「盟友」であった中村隆子さんの基金が使われたとのこと、「サゴリ」のゆったりしたスペースの中には、中村隆子さんのビデオなども視聴できるスペースもあります。高雄さんと中村さんのシスターフッドからも、たくさんのことを学ぶことができるサゴリです。 

この個人資料室ができるまでには、場所探し、部屋の片づけ、棚の設置などの諸準備、その間に川崎と箱根から。蔵書書籍が1万点、資料が1000点届き、整理とデータ化など、大変だったそうですですが、多くの協力者の尽力もあり、開室に至ったそうです。加納さんの蔵書がゆったりした間隔で置かれた書架に並び、収集した資料も手に取ることができるように配架されています。多くの来館者が引き付けられるのは、棚にずらりと並ぶ『写真週報』だそうですが、戦時体制に向かう、戦時体制がつくり上げられていく社会の空気感までをも伝える資料が自由に閲覧できる仕組みです。
また研究資料1000点は、手助けしてくださる方々もおられ、整理が進んでいるそうですが、「山川菊栄記念会」のファイルもあり、手に取って見ると、記念会で2015年に実施した『覚書 幕末の水戸藩』の読書会のレジュメに加納さんが書き込みをした資料が残されていました。
おしゃれだった加納さんのストールが仕切りのように使われ、また愛用の帽子の数々も展示され、写真だけでなく、ご存命中の姿を偲ぶことができます。

また加納さんの蔵書だけでなく、高雄さんの蔵書を「ひろしま女性学研究所文庫」として併設しており、更に横浜国大名誉教授の加藤千賀子さんの研究に関連して「神崎清の資料」もこれから入る予定だそうです。
高雄さんは、資料と場をいかした「加納実紀代研究会」を発足させておられます。高雄さんはこの研究会を、資料室を存在たらしめる背骨と『労働者運動資料室会報』第60号で述べておられますが、すでに活発な活動が展開されているようです。若い世代の来館者も多数参加するという研究会の成果が期待されます。

加納さんの過去をたどり、次の世代へ伝えていく場として、インターセクショナリティに注目が集まる中、「サゴリ」がますます重要な意味を持つことを実感した「サゴリ訪問」でした。(山田敬子)

加納実紀代資料館「サゴリ」のサイト

https://sagori-kanomikiyo-library.jimdofree.com/

11月17日(日)に「山川菊栄カフェ」(わが住む村 読書会第5回)を開催します。

 「ブックカフェで山川菊栄について語りあう企画をやっています。」とお話しすると、「ぜひ行きたい、いつですか」と声をかけていただく機会が増えました。さまざまな本やメディアでとりあげられている山川菊栄。静かにファンがひろがっているようですが、地元でなかなか集う機会がないようです。また、この藤沢にお住まいの方々でも、戦前の藤沢が書かれている「わが住む村」をはじめて知ったとおっしゃる方もいて、読書会に興味をもっていただいていることを感じます。いつものように、石黒さんから前回のレポートが届きました。

さる9月15日(日)14時から、藤沢・柄沢橋にあるブックカフェBOOKYで、第4回の「わが住む村」読書会を開催しました。初めての方が3人も参加してくださり、あわせて10人での賑やかな読書会になりました。


 本書冒頭の「雲助の東海道」の続きから「助郷の禍」までを読みました。前半は、石黒のつたない朗読でしたが、後半は、今回から参加してくださった一龍斎春水(はるみ)さんが朗読してくださいました。麻上洋子さんの名で声優としてもご活躍の春水さん。宇宙戦艦ヤマトの森雪の声で、山川菊栄の文章が読まれるのを聞くこのうえない機会となりました。春水さんは次回も朗読してくださるとのことですので、そちらも楽しみです。

 本文は、人々が行き交っていた東海道の街道筋が、鉄道開通を迎えて変化していくさまを描いているところです。
 明治19年の東海道線開通と藤沢駅開設時、「汽車には大反対」「停車場を宿場近くに(設置されるのは困ると)さんざんお願い申して(…)家一軒ない桃畑のまんなかに(駅を開設することになった)」という車力のお爺さんの話が引用されています。
 このように、鉄道が建設された時に反対の訴えがあったため、線路や駅が既存の中心部から遠ざけられた、という話は全国各地にあるようです。山川菊栄も「駅が町に遠い野原の中にポツンとあったりするのはその時代の記念なのです」などと記しています。しかし、近年の鉄道史研究では、この点の再検証が進められており、総称して「鉄道忌避伝説」などとも呼ばれているところです。さて、藤沢ではどうだったのか。読書会の場で、石黒から、調べられる限りで見つけた資料などをご提示しました。
 特に、藤沢市史(第三巻資料編 昭和50年刊)の記述の元とされている「藤沢駅史」が、昭和17年に当時の駅長が「土地の古老」に記憶をたどってもらって書いた、などとされていることが分かり、この「わが住む村」を書くために山川菊栄が聞いて回った時期(初版刊行が昭和18年12月)と一致もしくは先行するという発見があったことをお話ししました。

 歴史的な事実の追求は専門化の研究に委ねたいところですが、現代の目で読み直す重要さをあたらめて感じたところです。

 

 次回、第5回は、11月17日(日)14時から。おなじくBOOKYでおこないます。参加費は無料ですが、カフェでのオーダーをお願いします。ブックカフェ営業中ですので、ふらりとお立ち寄りになるのでかまいません。初めての方、大歓迎です。ただし椅子のご用意の都合もありますので、できればご連絡いただけると助かります。

 岩波文庫版の『わが住む村』が入手できないかもしれませんが、国立国会図書館のデジタルコレクション(登録者のみの個人送信)https://dl.ndl.go.jp/pid/9539136でも見ることができます。

文京区立森鴎外記念館の特別展に山川菊栄と山川均のはがきが展示されています。

「111枚のはがきの世界~伝えた思い、伝わる」と題した、東京の文京区立森鴎外記念館の特別展に、山川菊栄と山川均のはがきが展示されています。

期間は、来年2025年 1月 13日までとなっています。

鴎外をはじめ、明治から昭和にかけての文学者、美術家、ジャーナリストなど多士済々のはがきが百花繚乱のごとく並べられています。

鴎外記念館のある千駄木から根津、谷中のエリアは寺町で、谷中の墓地にかけて著名人のお墓も点在しています。秋晴れの散歩日和を選んでおでかけください。

料金・休館日・アクセスは同館サイトをお確かめください。https://moriogai-kinenkan.jp/