WikiGap in Kanagawaオフライン参加とその副産物~山川菊栄の翻訳文献一覧表ベータ版公開

画像はWikiGap in Kanagawa実行委員会から提供いただきました。

去る3月3日に神奈川県立図書館で開催された「WikiGap in Kanagawa」オフラインイベントに参加しました。5年ぶりの対面開催ということもあり、定員20名は満席で、遠くは札幌からの遠路来場者もあり、高校三年生の男子学生を含む老若男女が相集いました。午前は、記念会から事務局長の山田が「山川菊栄ってどんな人」、山口からサイトニュースのこの一年のトピックを拾い、県立図書館の島課長から山川菊栄文庫資料について紹介がありました。山川菊栄について初めて知ったという参加者も少なくありませんでした。

午後はWikipediaのジェンダーバイヤスを変えるWikiGapの趣旨に沿って、「山川菊栄」ページや神奈川ゆかりの女性たちを中心に、ページの改訂や作成作業が、それぞれ参加者の興味に沿って行われました。8日までオンラインでも継続中です。また、ページ候補のリストも豊富に用意されています。

この活動のために県立図書館では活動支援として、担当司書の方が1階の山川菊栄記念コーナーで常設されている書籍や閉架図書など関係するものを会場に集めてくださいました。ご支援に改めて感謝申し上げます。

このイベントに後援参加する準備段階のやりとりから、山川菊栄が翻訳紹介した海外の女性たちのページで日本語以外の言語では多数存在するのに、日本語ページがない場合があることがわかりました。当日、ベテランのガチペディアさんたちが、ギルマンビアティのページを早速作ってくださったり山川菊栄翻訳との関係を書き加えてくださいました。

これに応えて、この2年ほど作業してきた「山川菊栄の翻訳文献一覧ー原著とその作者にみる国際性」を未定稿ながら公開することにいたしました。資料部情報extra-1番外発信として、PDFではなくgooglespreadシートに共有リンクをつけています。まだ不明事項も多いため随時更新していきますので、よろしくお願いいたします。

婦人問題懇話会の活動を通して、山川菊栄が実践していたフェミニズムの共同知の営みが、WikiGapを通じて広がっていくことを願っています。最後になりますが、この素晴らしい企画を実現してくださったWikiGap in Kanagawa実行委員会の皆様に心から感謝申し上げます。

2024年3月17日追記:ウィキペディアのコミュニティ情報交換の英語版サイトDiffに3月3日の参加者の一人Wasdakuramonこと門倉百合子さんがイベントレポートを通じて山川菊栄紹介も書いてくださいました。 また、ご本人のブログでも参加記を投稿してくださいました。門倉さんは、渋沢栄一記念財団で渋沢栄一のデータベース開発にも関わり、独立系司書として『70歳からのウィキペディアン』(郵研社、2023年)を著わした方です。門倉さん本当にありがとうございました。

続・『文藝春秋』8月号の「日本の100人」に山川菊栄が挙げられました。-『文藝春秋』掲載の山川菊栄による記事紹介

 さて、『文藝春秋』8月号の特集「日本の100人」に鹿島茂氏が「隠れ水戸水脈」として推した山川菊栄が、水戸つながりでかつて『文藝春秋』に書いたものには、「ラッシュアワーと猫と杓子」(『文藝春秋』1929年6月号・『山川菊栄集5』(岩波書店)に収録)があります。不況のなかの受験や就職に右往左往する世代に対して、その一世代上の識者たちが資本家たちに依存した立身出世の過程を棚に上げて、上から目線で「独立独歩」を薦めている傾向をユーモラスに批判しています。そして、文末には、光圀が『大日本史』編纂のきっかけにしたという『史記』の「伯夷列伝』の故事を隠喩に使って、たとえ安易にひとり義に生きても飢えるだけだと戒めています。

 その6年後、女性解放論者の山川菊栄に求められた「男性への爆弾」について、標的を身内に探していく「まず手近なところから」(『文藝春秋』1935年2月号・『山川菊栄集6』に収録)という面白いエッセイがあります。爆弾を求められたのは、山川のほかに森田たま、河崎なつの三人で、筆頭に位置づけられた山川は、「非常時とはいへ、凄まじい課題が出たもの。(中略)私のような、かよわいたおやめですら、爆弾三勇士並みの仕事ができるというお見立てにあずかった」と諧謔的にかわしつつ、根が平和主義者であり、自分は男性には爆弾どころか花束のほか投げたことがない男性讃美主義者だと明言します。そしてこの場はやむを得ず、近ごろはやる急角度の転向をきめこみ、ともかくも爆弾をとりあげ、まずは夫から的にしていきます。

 女中さんの休暇のときの恒例の風景として、台所にたつ夫は、山川菊栄の洗った茶碗を拭き終えると得意の包丁磨きを始めています。そこに爆弾を投げようとすると、夫は「温良貞淑、実に亭主たる者の亀鑑だね」と自ら名乗りだすので、爆弾投下はやめてしまいます。つぎに長年の恨みがあるという秀才で通した兄。その恨みとは、学校から帰ると大声で教科書を読み上げ周囲の迷惑を顧みなかったことだというのですが、姉・松栄が兄の結婚後、全く人が変わりよく気がつく優しい人間になった、と幸福そうに語っていたことを思い出し爆弾投下はあきらめます。
 さらに、頑固なアンチ・フェミニストの従兄の砲兵中尉に眼を向けると、妻に先立たれ10人の子供を抱えて一心不乱に家事育児にいそしむ姿があり、その巧みなミシン仕事にも感心しつつ、我が家では夫も息子も自主的にミシンを操って綻びくらいは直しているとも。

 このように家族や親戚がみな家事育児の超亀鑑派、つまり超模範的な男性の血統を引いているのだというのです。祖父にあたる水戸藩漢学者・青山延寿も夜中まで読書に没頭するかたわら、赤子とすでに寝入っている妻から、子をそっと取りあげお手洗いに連れていって、また静かに戻したという、子育て中に繰り返されたという微笑ましい逸話を紹介しています。

 そして、欧米の物質文明の影響で思想が悪化し、軽佻浮薄な非亀鑑人種が跋扈して、こうしたわが国の古来の順風美俗を破壊するのは、国家の前途のために寒心に堪えないといい、これらの美談佳話を教科書に掲載すべきと提言をして、とうとう爆弾を投げずに平和主義花束主義に落ち着くことができたと筆をおきます。

 中条(宮本)百合子は、面白い文章で社会的問題を私的空間におさめて論じていると評しました(鈴木裕子解題『山川菊栄集6』)。すでに日中戦争に突入し太平洋戦争へと向かうにつれて、内閣情報部さらには内閣情報局による苛烈を極める言論弾圧が進み、執筆者選別と直接的な検閲が、山川菊栄の執筆の場をどんどん狭めていくことになりました。

 印刷用紙の統制、さらには総合雑誌の統合さえも検討されようとするとき、『文藝春秋』に書いた「烈公のころ」(1944年5月号)は、大政翼賛体制の総力戦を煽るような後期水戸学の称揚のなかで、ごくわずかに許されたテーマの一つであり、水戸水脈が施した戦時下の糧だったのかもしれません(了・文中のタイトル表記の用字は『山川菊栄集』に拠りました。山口順子)。

追記:「ラッシュアワーと猫と杓子」は「猫と杓子」というタイトルで、『南洋日日新聞』(1930年12月11日~13日・1面)に転載されています。(スタンフォード大学フーバー研究所・邦字新聞デジタル・コレクションによる https://hojishinbun.hoover.org/ja/newspapers/nos19301211-01.1.1<2023年月14日閲覧>)

『文藝春秋』8月号の「日本の100人」に山川菊栄が挙げられました。

「隠れ 水戸水脈」と題して、徳川慶喜、渋沢栄一、菊池寛、山川菊栄、林芙美子の5人を「日本の100人」に推薦する文章を書かれたのはフランス文学の鹿島茂さんです。以前、森まゆみさんとの『東京人』の誌上対談で山川菊栄の若き日のポートレートを激賞されたとのことですが、今回も「地に足のついたフェミニスト」と強力な「推し」が示されています。

このなかで、菊栄が、麹町四番町の隣に住む祖父・青山延寿の薫陶を受けたと書かれています。水戸藩藩儒の青山延寿の長兄で、青山延光の家は総裁を務めた藩校弘道館の前からまっすぐ続く田見小路にあり、光圀のブレーンであった朱舜水を霊を祀る堂の向かい側に位置していました。関ケ原の戦いのあと転封された佐竹家中であった青山家は水戸に残り、代々その祠堂を守る役目でした。いまはNTT東日本水戸支局前に小さな朱舜水の像がありますが、青山家との関係を知るよすがは見つけられないのです。

山川菊栄はかつて当代きっての評論家として、『婦人公論』はもとより、いわゆる月刊総合誌への執筆も多く『太陽』『中央公論』『改造』『雄弁』『世界』などとともに、『文藝春秋』にも随筆を書いたり座談会に参加したりしています。長くなるので記事のいくつかの紹介は続編へ

ついに到着!『未来からきたフェミニスト』

先日、新刊予告を出しました、花束書房さんの渾身の一冊『未来からきたフェミニスト 北村か兼子と山川菊栄』が送られてきました。書影では分からなかった、表紙の濃いバイオレットのエンボスは写真ではなかなか表現できない繊細なものですが、なんとか撮影してみました。

山川菊栄を現代に読み直す意義は何か、若い感性で説かれる論考がずらりと並んでいます。

これまであまり紹介されてこなかった、婦人少年局長室前で珍しく明るい笑顔を見せる山川の写真も掲載されています。官庁初の女性局長として自信をつけ、また部下への包容力も増してきたことが伺える一枚です。

この写真を含む神奈川県立図書館蔵の山川菊栄文庫関連資料の整理については、長く記念会で取り組んできました。整理の状況については、この本に収録された事務局長山田による書簡の一部紹介のほか、座談会内容でも触れています。

先ごろ一段落の区切りをつけ、新収蔵庫改修に向けて図書館側に引き渡しを終えました。2年後の再開に向けて、このサイト内で追々、発掘された資料の紹介をしていく予定です。

神奈川県立図書館新館の展示期間が延長されました

以前お知らせした「性と社会の今。人として自分らしく生き抜く」展での男女共同参画図書や山川菊栄文庫の資料展示は、期間延長となり、6月4日(日)までご覧いただけます。

山川菊栄文庫の資料では、労働省婦人少年局資料の「だからわたくしたちは婦人団体を作りました」(1950年秋~1951年頭か?)というパンフレットが展示されています。カラー用紙を使った日本語版と、生成り色単色の英語版という大変珍しいものです。縦型のB6判変形で、昔のコクヨの電話帳のように紙の大きさを変えインデックスごとに頁がめくれるようになっている凝った作りになっています。英語版はGHQとの関係で作成されたものと思われます。

山川菊栄文庫関連資料の整理も最終盤を迎えており、いま展示されている資料も含めて
まもなく収蔵庫改修のため令和8年以降まで非公開となります。

この機会にぜひご覧ください。