昨年のトピックを振り返ると、3月開催のWikigap in Kanagawaで山川菊栄にフォーカスした講演会が組まれました。Wikigapの活動のおかげでWikipageの山川菊栄もとても充実したものになりました。これに合わせて『資料部情報』で「山川菊栄の翻訳文献一覧表—原著とその作者にみる国際性」(ベータ版1.0)を公開しました。
スイリ氏はフランス国立東洋言語文化研究院教授として1999年から日仏会館フランス学長を務めたころ、2001年専修大学での日仏学術シンポジウムに登壇され、その記録は『歴史におけるデモクラシーと集会』(専修大学出版局、2003年)としてまとめられています。日本の歴史研究書を多数著されていますが、ジュネーブ大学においてフランス語訳のアンソロジー『植民地時代の日本 1880 ~ 1930 年 相違の声』(Japon colonial 1880-1930, Les voix de la dissension, Paris, Les Belles-Lettres, 2014)を監修されました。
そのなかで、伊藤綾氏とコンスタンス・セレニ氏が、山川菊栄の二つの著作を訳しています。そのうちの一点が今回スイリ氏がとりあげた「人種的偏見・性的偏見・階級的偏見」(Préjugés de race, préjugés de sexe, préjugés de classes)であり、もう一点が「満州の銃声」(Coups de fusils en Mandchourie, 『婦人公論』11月号、1931年)です。お二人とも現在ジュネーヴ大学文学部東アジア学科で教鞭ととっておられます。
このアンソロジーのあと、山川に言及したスイリ氏の論文「Critiquer le colonialisme dans le Japon d’avant 1945(Criticising Colonialism in pre‑1945 Japan)(1945年以前の日本の植民地主義を批判する)」(初出はCipango 18, 2011年, 189‑236,英語版2015年)も出ており、スイリ氏が山川菊栄に触れる可能性もあるかもしれない、とかすかな予想はしていたのですが、山川菊栄だけに焦点をあてて紹介してくださるとは想定外のことで大変驚き、フランス人の日本研究者が半数以上集まる会場に向けられた講演として感銘を受けました。成田龍一氏(日本女子大学名誉教授)のコメントでは福沢諭吉を代表とする明治の知識人が帝国主義、植民地主義の拡大とともに「人種」から「民族」へと用語を変えていったことを指摘され、交差差別を認識していた山川菊栄の視野の広さを指摘されました。戦後、その継承は森崎和江や宮田節子のなかに見いだせることを紹介されました。
続くセッション「フェミニズムとジェンダー:日仏の比較」では、日仏会館フランス事務所で平塚らいてう研究をされていたころ日仏女性研究学会との交流もあった、クリスティーヌ・レヴィ氏(ボルドー・モンテーニュ大学名誉講師)が上野千鶴子氏の著作『生き延びるための思想 新版』(岩波現代新書、2012年)のフランス語訳監修(Une idéologie pour survivre – Débats féministes sur violence et genre au Japon, Presses du Réel (Les); Illustrated édition , 2021)を通じた考察について話されました。従来のように暴力の被害者あるいは本質的平和主義者としてだけでなく、戦争加担者となり抑圧者にもなりうる女性たちの登場に向かい合い、ジャンダー平等が弱者から強者への転換で終わるのではなく、弱者の解放を進めていくべきとの上野氏の思想について、トランスナショナルに展開する展望を情熱的に披露されました。なお、講演予定でしたが残念ながら欠席となってしまった、ファヨル入江 容子氏(甲南大学文学部講師)のエルザ・ドルラン『人種の母胎』をめぐる考察は下記の参考リンクにあげた論考PDF版で読むことができます。
去る3月3日、県立図書館でのWikigap in Kanagawaで、潮田さんが撮影された山川菊栄文庫資料のことをご紹介しました。そのときは、レミントンジュニアの菊栄愛用タイプライターの撮影エピソードをお話ししました。
米国のレミントン社が製造したポータブルタイプのレミントンジュニアで、おそらく山川菊栄は『社会主義研究』(6号、1922年1月)から英文論文「Women in Modern Japan」(近代日本の女性)の連載を開始します。おそらくこれはタイプライターで打ったものと思われ、製造番号がわかれば山川菊栄が入手した時期も絞られてくるはずなのですが、シリアル番号を打ったプレートがなかなか見あたらなかったのです。そのことをお話したら、お連れ合いの島尾伸三氏がタイプライターをひょいと持ち上げられ、その途端にプラテンが動き、チーンという澄んだ音色が地下の作業室に響き渡りました。まさしく菊栄が打っていたときの音色だと思われ、なんともいえない感動を覚えたことが鮮やかによみがえる作品です。敷物は山川振作夫人の美代さんの名前が縫い付けてあるふろしきです。