1924年に開館した日仏会館は今年で100年を迎えました。それを記念し日本研究の蓄積を振り返り、また未来を展望する国際シンポジウム「フランスにおける40年の日本研究、これからは?」が11月15日と16日の二日間にわたり開催されました。
二日目の午後のセッション「人種差別と植民地主義を再考する」の中で、元ジュネーブ大学教授のピエール=フランソワ・スイリ氏が、山川菊栄の略歴と著作「人種的偏見・性的偏見・階級的偏見」(『雄弁』1924年6月号)について解説し、山川菊栄は、人種・性・階級の差別という三重の差別、インターセクショナリズムに理解を示していた稀有の女性と強調されました。山川菊栄のポートレイトが会場のスクリーンに大きく映し出されて、1924年にこのような女性がいたことは驚くべきことと最大限の賛辞で紹介されました。
スイリ氏はフランス国立東洋言語文化研究院教授として1999年から日仏会館フランス学長を務めたころ、2001年専修大学での日仏学術シンポジウムに登壇され、その記録は『歴史におけるデモクラシーと集会』(専修大学出版局、2003年)としてまとめられています。日本の歴史研究書を多数著されていますが、ジュネーブ大学においてフランス語訳のアンソロジー『植民地時代の日本 1880 ~ 1930 年 相違の声』(Japon colonial 1880-1930, Les voix de la dissension, Paris, Les Belles-Lettres, 2014)を監修されました。
そのなかで、伊藤綾氏とコンスタンス・セレニ氏が、山川菊栄の二つの著作を訳しています。そのうちの一点が今回スイリ氏がとりあげた「人種的偏見・性的偏見・階級的偏見」(Préjugés de race, préjugés de sexe, préjugés de classes)であり、もう一点が「満州の銃声」(Coups de fusils en Mandchourie, 『婦人公論』11月号、1931年)です。お二人とも現在ジュネーヴ大学文学部東アジア学科で教鞭ととっておられます。
このアンソロジーのあと、山川に言及したスイリ氏の論文「Critiquer le colonialisme dans le Japon d’avant 1945(Criticising Colonialism in pre‑1945 Japan)(1945年以前の日本の植民地主義を批判する)」(初出はCipango 18, 2011年, 189‑236,英語版2015年)も出ており、スイリ氏が山川菊栄に触れる可能性もあるかもしれない、とかすかな予想はしていたのですが、山川菊栄だけに焦点をあてて紹介してくださるとは想定外のことで大変驚き、フランス人の日本研究者が半数以上集まる会場に向けられた講演として感銘を受けました。成田龍一氏(日本女子大学名誉教授)のコメントでは福沢諭吉を代表とする明治の知識人が帝国主義、植民地主義の拡大とともに「人種」から「民族」へと用語を変えていったことを指摘され、交差差別を認識していた山川菊栄の視野の広さを指摘されました。戦後、その継承は森崎和江や宮田節子のなかに見いだせることを紹介されました。
続くセッション「フェミニズムとジェンダー:日仏の比較」では、日仏会館フランス事務所で平塚らいてう研究をされていたころ日仏女性研究学会との交流もあった、クリスティーヌ・レヴィ氏(ボルドー・モンテーニュ大学名誉講師)が上野千鶴子氏の著作『生き延びるための思想 新版』(岩波現代新書、2012年)のフランス語訳監修(Une idéologie pour survivre – Débats féministes sur violence et genre au Japon, Presses du Réel (Les); Illustrated édition , 2021)を通じた考察について話されました。従来のように暴力の被害者あるいは本質的平和主義者としてだけでなく、戦争加担者となり抑圧者にもなりうる女性たちの登場に向かい合い、ジャンダー平等が弱者から強者への転換で終わるのではなく、弱者の解放を進めていくべきとの上野氏の思想について、トランスナショナルに展開する展望を情熱的に披露されました。なお、講演予定でしたが残念ながら欠席となってしまった、ファヨル入江 容子氏(甲南大学文学部講師)のエルザ・ドルラン『人種の母胎』をめぐる考察は下記の参考リンクにあげた論考PDF版で読むことができます。
ところで、あまり注目されてこなかった山川菊栄とフランスの関係について若干付け加えます。菊栄の父親・森田龍之助は、陸軍の通訳職を経て、養豚に着目した千葉県令船越衛の欧州視察に随行し豚肉加工技術を深め、帰国後、講演録『養豚新説』で豚博士という異名をとるほどの人でした。その影響で菊栄の母親もフランス語を学んでいたことから、家庭環境のなかで菊栄もフランス語に親しんでいました。初期の翻訳にはアナトール・フランスの著作もありますが、これは私淑していた慶應大学教授の馬場孤蝶が所持していた英語版全集からの重訳だったと考えられます。しかし、馬場を通じてそれに触れていたことは菊栄の思想形成において看過できない重要な点があると思います。記念会サイト『資料部情報』で来年公開予定の次号でお読みいただけるよう準備中です。
シンポジウムの記録はいずれ日仏会館サイトの動画アーカイブに掲載される可能性がありますので、各自でチェックしてみてください。 (山口順子、日仏女性研究学会会員)
*参考 ファヨル入江 容子「エルザ・ドルラン『人種の母胎(マトリックス)』における「妊娠・出産(マテルニテ)」の問題」『大原社会問題研究所雑誌』(No.785、2024年3月)