岡部雅子さんを偲んで-2024年の最後に

 
 『山川菊栄と過ごして』の著者、岡部雅子(つねこ)さんが12月6日に93歳で逝去されました。民間会社に勤めたのち、中学校の数学教諭をされていましたが、山川振作氏と結婚した美代さんの姪という縁戚関係から、山川均と死別したあと一人暮らしを始めた菊栄と同居されました。藤沢市弥勒寺(みろくじ)の家で身辺の世話や来客の取り次ぎといった秘書代わりの雑用をされ、亡くなる直前まで寄り添っていました。
男の子一人しか子どものいなかった山川菊栄にとっては、雅子さんを筆頭とする桂子さん、美子さん、佑子さんの四姉妹は娘でもあり孫でもあり、またフェミニズムの同志でもあった、ある意味シスターフッドで支えあう間柄でした。雅子さんは菊栄を「おばあちゃま」と呼んでいたそうです。

岡部雅子著『山川菊栄と過ごして』


二人の出会いは、1943(昭和18)年に成城の柳田国男邸を菊栄が訪問しその帰りに岡部さんのご実家に寄ったときで、岡部さんが12歳のときだったとのことです。柳田邸には『わが住む村』と『武家の女性』の出版をあっせんしてくれたその謝礼を述べるため訪れたのでした。

戦後、疎開先から大学入学を機に実家に戻った岡部さんは、おじにあたる振作氏の家を相談先として頼り、また藤沢の山川夫妻のもとにも時折訪れていました。自然あふれる周辺散策や庭の手入れ、ニワトリの世話などで夫妻と過ごし、二人がかわすきれいでていねいな言葉を通して問わず語りの教えを受ける、お茶の時間を大切にしていました。そして、山川均が亡くなるときの最期のつぶやきを聞き、葬送の手伝いもしました。いつしか山川菊栄の生き方に畏敬の念をいだき、山川菊栄の足跡を世に伝えることをライフワークと決めていた岡部さんは、山川菊栄と藤沢の弥勒寺での共同生活をするようになるのです。

1959年に菊栄・振作の母子が企画した、山川均の全著作集編さんのため、岡部さんはその著作カードづくりに着手。その傍ら菊栄のカード作成もはじめました。そして「均の全集刊行が終わったら、私は菊栄の評論やメッセージを、年代順に並べて、世に出したいと考えていた」と書いています。従って、岩波書店から出版された『山川菊栄集』の構想は岡部さんが早くからもっていた ということになります。二年ほどで作業を終え、 著作リスト一覧表の冊子を作ることで均全集出版へ向けての下準備が整ったあと、菊栄の著作リストカードの作成を始めたのは、1960年代初頭からということになります。均と比べて多種多様な媒体に寄稿した菊栄の著書の出典調査は難航したと言います。自分の書いた記事の書誌を記すことがないままのこともあり、不明な点は本人の記憶を確かめながら、仕事の傍ら国立国会図書館をはじめ各所を尋ねながら岡部さんは地道に調べていきました。

今日ではWeb上の書誌検索があたり前のようになりましたが、国立国会図書館のフロアでいつからか閲覧用パソコンデスクにとって変わり姿を消した、あの茶色い図書館カードの函の列をめぐって、重い木のボックスを引き出しカードをめくって請求番号を探し・・・という手作業を繰り返す岡部さんの姿が目に浮かびます。二十年近いその蓄積に外崎光弘氏の応援を得て完成したのが労作「山川菊栄著作目録」(外崎光弘 岡部雅子編『山川菊栄の航跡』ドメス出版、1979年所収)であり、それが山川菊栄研究の基礎となったことは間違いありません。なかでも、戦後に本人が国立国会図書館に寄贈した山川菊栄訳『大戦の審判』(今日ではドイツの法律家リヒャルト・グレリンク著と判明)を丁寧にみて、ペン書きで残した書入れについて翻訳出版の秘された経緯を示す資料として記したことは大きな功績だと思います。


寝食をともにした岡部さんでしか知り得ない、人間・山川菊栄が著されている『山川菊栄と過ごして』(ドメス出版、2008年)は研究上必読書といえると思います。歩行困難になっても選挙に行くことを欠かさなかった山川菊栄をリヤカーに莚を敷いて投票所の村岡小学校まで連れていき、普通の折り畳み椅子に腰かけさせてひきずるエピソードは圧巻です。

また、日常的な言葉の速記的な書き取り は断片的とはいえ、オーラルヒストリーの一面をもっています。戦争末期の菊栄と均の疎開について、山川振作氏の回想テキストでは妻の安全な出産のためと「母にウソをついて」疎開させ、戦時混乱における官憲からの暴虐の恐れから逃したいという、自分の「真意」を両親は知らなかったと書かれています。それをテキストの表層で解釈している後年の研究に対して、岡部さんは菊栄本人からその「真意」を暗黙のうちに見抜いていた、という言葉を聞き出していた事実を明示しました。そして、振作氏の回想だけを引用すると誤った解釈になると書いていますが、まさしく深層を知る人ならではの警告となっています。

岡部さんご自身は、定年まで藤沢市立中学校に数学教員として勤務し、多くの生徒を育て、卒業生やお世話になったという保護者にとっては「岡部先生」でした。菊栄の晩年は、菊栄のケアのために、近くの学校への転勤を希望したとも語っておられました。
菊栄没後は、あらゆる機会に山川菊栄の功績を記録し、広めるお仕事に邁進されました。お元気なうちは山川菊栄記念会 のイベントは皆勤でいらっしゃいました。
そして、「菊栄の思想を生きる」ことを実践されていたと思います。憲法改悪の動きに対抗する女性たちのネットワークに熱心に参加をし、ニュースレターの発送などに、東京まで通っておられました。また女性を政治の場に送るという活動も熱心にされていました。もちろん、選挙に行くことも欠かさず、選挙会場まで行くのが不安と、介助のリクエストを受け、ご一緒したこともありました。また女性市議の始めた「障がい者」の作業所には、晩年までボランティアとして通っておられました。

愛用の車はスポーツタイプのマニュアル車、それを飛ばして江の島の神奈川県立女性センターにあった山川菊栄文庫の資料整理にも通っておられました。その様子は、山上千恵子監督ドキュメンタリー映画「姉妹よ まず かく疑うことを習え―山川菊栄の思想と行動」の一場面として記録されています。この整理の過程で50数冊の整理ノートを作成されています。
現在、山川菊栄文庫の資料整理をする中で、岡部さんの整理ノートの仕事の大きさを改めて感じています。著作リストを最初に作ったしごと、そして雑誌『婦人のこえ』総目次の編さんとともに、まさに山川菊栄のドキュメンタリストとして生涯を捧げた活動に、心から敬意を表します。

いまごろは、山川菊栄とお茶でも飲みながらゆっくりお話しできているでしょうか。それとも似合う着物を選んであげて着るのを手伝い、その笑顔をまた撮影しようとしているのでしょうか。きっと、世の中を憂え、女性たちに熱いエールを送ってくださっているのではないかと思います。
心からご冥福をお祈り申し上げます。(山口順子、山田敬子)

*参考
岡部雅子「『山川菊栄著作目録』発行にあたって」『婦人問題懇話会会報』28号、1978年6月、p72
外崎光弘 岡部雅子編『山川菊栄の航跡』ドメス出版、1979年
岡部雅子「故山川菊栄をしのぶ」『婦人問題懇話会会報』34号、1981年6月、pp.34-35
岡部雅子『山川菊栄と過ごして』(ドメス出版、2008年)
岡部雅子作成『婦人のこえ』総目次(菅谷直子『来しかたに想う-山川菊栄に出会って』、岡部雅子、佐久間米子による私家版、2005年、pp.58-107所収)
総目次PDF版は日本婦人問題懇話会の軌跡サイト内の菅谷直子さんのページからダウンロードしてご覧いただけます。


*在りし日の岡部雅子さん 2016年4月2日・第2回婦人問題懇話会同窓会ビデオ(19分50秒くらいから『婦人のこえ』総目次作成を褒賞した婦人問題懇話会に対して短い答礼挨拶をされています)https://sites.google.com/view/fumonkon/reunion

菊栄カフェ読書会@藤沢からのお知らせ

11月17日に開催された、第5回菊栄カフェ・読書会の報告ですが、8名のみなさまのご参加がありました。会場のBOOKYさんにはいつものように御協力いただきありがとうございました。

 前半は、山川菊栄関連の話題提供・共有として、記念会サイトで公開している「山川菊栄記念館*資料部情報」を印刷したファイルなどのプリントアウトをBOOKYさんに来店した方が、いつでも読んでもらえるように、12月1日から新たにレンタルスペースの棚一つに置いていくことになりました。

また、日仏会館百周年記念日仏シンポジウム「フランスにおける40年の日本研究、これからは?」(11/14-15)二日目にあった「人種差別と植民地主義を再考する」の中で、ピエール=フランソワ・スイリ(元ジュネーブ大学教授)氏が、戦前の日本において、山川菊栄だけが、人種・性・階級の差別をあわせて論じていたと紹介されたとのことで、その根拠となる山川菊栄著「人種的偏見・性的偏見・階級的偏見」(『雄弁』1924年6月号掲載)について、朗読をつうじて共有しました。

 後半は、村岡公民館に掲示してある弥勒寺周辺の書き起こし地図の写真提供があり、みんなでみました。「山川均邸」などがかかれています。そのあと、「わが住む村」の続き(p27~p39)から「助郷の禍」「黒船来たる」を一龍斎春水さんの朗読で読み、引用と菊栄の文章の絶妙なバランスに気づかされました。

菊栄の本棚
BOOKYさんの棚「シェア型書店」をオープンしました。



12月1日からいよいよ、会場としているBOOKYさんの本棚をレンタルし、「山川菊栄記念会」書店をオープンしました。記念会の編集出版書籍をはじめ、菊栄の著作や、女性関連書籍を販売します。『わが住む村』岩波文庫の古本も何冊か置きましたので、お持ちでない方はここからお求め下さい。
このほか、菊栄資料のプリントアウトもこの棚に置いておきますので、BOOKYさんにぜひご来店くださって、手に取って読んでいただけたらと思います。
BOOKYさんの営業日・時間はこちらをご確認ください(金土日月営業です)。

*次回読書会は2025年1月11日(土曜日)14:00から開催です*
BOOKYさんで何か好きなものをオーダーしてくだされば、どなたでも参加できます。イスの用意がありますので、初めての方はご連絡いただければ幸いです。

*参考  文中の各種文献がダウンロードできるリンクをご紹介します。

・山川菊栄著「人種的偏見・性的偏見・階級的偏見」(『雄弁』1924年6月号掲載。)が読めるのは、

田中寿美子, 山川振作 編集『山川菊栄集』3,岩波書店,1982.4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12144384/1/139

鈴木裕子 編『山川菊栄女性解放論集』2,岩波書店,1984.5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12143124/1/45

・棚においてあるPDFのダウンロードができる場所:オープンアクセスでどなたでも自由にお読みいただけるようにしています。

山川菊栄記念会『資料部情報』https://yamakawakikue.org/archives_info/

山口順子「『山川菊栄文庫資料』(神奈川県立図書館蔵)のうち青山延寿出版関係史料概要について」補論で「覚書 幕末の水戸藩への道程」を書いています。(科研B-20H01319「維新政権期の木版刊行物に関する学際的研究およびオープンサイエンスの推進」2020年度~2023年度 研究代表・国文学研究資料館研究部・総合研究大学院大学 藤實久美子教授)の研究サイト内 からダウンロードできます

日本アメリカ史学会例会で「有賀夏紀さんを偲ぶ会」が開かれました。

この記念会ニュースでもお知らせしましたが、さる3月7日に亡くなられた有賀夏紀さん(山川菊栄賞選考委員、2022年から世話人)を偲んで、12月15日(日)に日本アメリカ史学会例会が専修大学神田キャンパスで開催されました。記念会からは事務局長山田敬子が山川菊栄賞受賞スピーチやドキュメンタリー映画『姉妹よ、かく疑うことを習え』シナリオの翻訳エピソードなどを交えながらありし日の有賀さんの思い出をお話し、記念会の活動をとても大切にし、また楽しんでおられた、その横顔を紹介しました。詳しいプログラムは同会サイトでご覧ください。

広島の加納実紀代資料室「サゴリ」を訪問しました。

2019年2月22日、加納実紀代さんは亡くなりました。加納さんは『銃後史ノート』刊行の女たちの現在を問う会メンバーの一員として、第5回山川菊栄記念研究問題奨励金(山川菊栄賞、1985年度)を受賞され、その後、1994年からは選考委員として、また周年行事などの山川菊栄記念会の活動を支えてくれました。山川菊栄記念会(以下記念会)の活動の核は毎年の山川菊栄賞の対象作品の選考でした。山川菊栄賞は2014年の第34回で終了しましたが、労働者運動資料室での山川菊栄賞の選考は、他薦、自薦で寄せられた対象作品から1作を選ぶ作業ですから、大変厳しい議論が毎回繰り広げられました。そうした議論の核にいたのが加納さんでした。一方で、選考委員会では皆さんの持ちよりの美味しいお菓子などの食べながらのコーヒーブレークも楽しみの一つで、その和やかなおしゃべりが弾む中心にも加納さんがいらしたことを懐かしく思い起こしています。その加納さんの個人資料館サゴリ(広島市東区光が丘)訪問が、10月末、やっと実現しました。

「サゴリ」は、韓国語で「交差点」。民族、ジェンダー、植民地主義、戦争加害・被害、原爆の被害・(広島の加害)などの「交差」する処のイメージでの命名と聞いています。まさに「複合差別」、インターセクショナリティーを可視化する場所として2023年3月、開設されました。
広島駅から歩くこともできますが、坂が続く高台にあると聞いていましたので、タクシーで向かいました。レモンハウス1階の資料室は、もともとアジアからきた留学生の宿泊施設だったということゆったりしたで広いスペースで、また窓からは周囲のたくさんの緑の植物、そして広島の街さらには瀬戸内海が臨めるすばらしいロケーションでした。

「サゴリ」では高雄きくえさんが待っていてくださり、施設や展示の概要を説明してくださり、さらに加納さんについてもたくさんお話することができました。高雄さんは広島で「家族社」という出版社を経営し、『月刊家族』を刊行。実は1998年度の第18回山川菊栄賞作、春日キスヨ『介護とジェンダー―女が看取る、男が看取る』の出版元が家族社でした。今でこそ、介護・ケアのジェンダー視点は、どこでも言われますが、1998年にこれに注目した、春日さんのお仕事、刊行された家族社、そしてそれを選考した記念会の先見の明を自画自賛したくなります。

高雄さんと加納さんとの出会いは、加納さんが『女がヒロシマを語る』(インパクト出版会、1996年)を出したあと、高雄さんがすぐに原稿を依頼(「ヒロシマとフェミニズム」)された時とのこと。以来『月刊家族』の巻頭エッセ―を加納さんは10年間書かれたそうです。加納さんは、銃後史ノート以来、女性の戦争加担を常に問題にし、被爆者であったご自身の経験や「ヒロシマ」が被害者としてだけ描かれることに疑問を呈しておられ、特に3・11以降は「フクシマとヒロシマ」をテーマに、原発を許してきた私たちの加害性も問題にしておられました。

2019年に加納さんが逝去され、蔵書の引き取り手を関係者が探したが見つからず、1年後、高雄さんに相談があり、「引き受けることを即決した」そうです。開設資金には、高雄さんの生涯の「盟友」であった中村隆子さんの基金が使われたとのこと、「サゴリ」のゆったりしたスペースの中には、中村隆子さんのビデオなども視聴できるスペースもあります。高雄さんと中村さんのシスターフッドからも、たくさんのことを学ぶことができるサゴリです。 

この個人資料室ができるまでには、場所探し、部屋の片づけ、棚の設置などの諸準備、その間に川崎と箱根から。蔵書書籍が1万点、資料が1000点届き、整理とデータ化など、大変だったそうですですが、多くの協力者の尽力もあり、開室に至ったそうです。加納さんの蔵書がゆったりした間隔で置かれた書架に並び、収集した資料も手に取ることができるように配架されています。多くの来館者が引き付けられるのは、棚にずらりと並ぶ『写真週報』だそうですが、戦時体制に向かう、戦時体制がつくり上げられていく社会の空気感までをも伝える資料が自由に閲覧できる仕組みです。
また研究資料1000点は、手助けしてくださる方々もおられ、整理が進んでいるそうですが、「山川菊栄記念会」のファイルもあり、手に取って見ると、記念会で2015年に実施した『覚書 幕末の水戸藩』の読書会のレジュメに加納さんが書き込みをした資料が残されていました。
おしゃれだった加納さんのストールが仕切りのように使われ、また愛用の帽子の数々も展示され、写真だけでなく、ご存命中の姿を偲ぶことができます。

また加納さんの蔵書だけでなく、高雄さんの蔵書を「ひろしま女性学研究所文庫」として併設しており、更に横浜国大名誉教授の加藤千賀子さんの研究に関連して「神崎清の資料」もこれから入る予定だそうです。
高雄さんは、資料と場をいかした「加納実紀代研究会」を発足させておられます。高雄さんはこの研究会を、資料室を存在たらしめる背骨と『労働者運動資料室会報』第60号で述べておられますが、すでに活発な活動が展開されているようです。若い世代の来館者も多数参加するという研究会の成果が期待されます。

加納さんの過去をたどり、次の世代へ伝えていく場として、インターセクショナリティに注目が集まる中、「サゴリ」がますます重要な意味を持つことを実感した「サゴリ訪問」でした。(山田敬子)

加納実紀代資料館「サゴリ」のサイト

https://sagori-kanomikiyo-library.jimdofree.com/

11月17日(日)に「山川菊栄カフェ」(わが住む村 読書会第5回)を開催します。

 「ブックカフェで山川菊栄について語りあう企画をやっています。」とお話しすると、「ぜひ行きたい、いつですか」と声をかけていただく機会が増えました。さまざまな本やメディアでとりあげられている山川菊栄。静かにファンがひろがっているようですが、地元でなかなか集う機会がないようです。また、この藤沢にお住まいの方々でも、戦前の藤沢が書かれている「わが住む村」をはじめて知ったとおっしゃる方もいて、読書会に興味をもっていただいていることを感じます。いつものように、石黒さんから前回のレポートが届きました。

さる9月15日(日)14時から、藤沢・柄沢橋にあるブックカフェBOOKYで、第4回の「わが住む村」読書会を開催しました。初めての方が3人も参加してくださり、あわせて10人での賑やかな読書会になりました。


 本書冒頭の「雲助の東海道」の続きから「助郷の禍」までを読みました。前半は、石黒のつたない朗読でしたが、後半は、今回から参加してくださった一龍斎春水(はるみ)さんが朗読してくださいました。麻上洋子さんの名で声優としてもご活躍の春水さん。宇宙戦艦ヤマトの森雪の声で、山川菊栄の文章が読まれるのを聞くこのうえない機会となりました。春水さんは次回も朗読してくださるとのことですので、そちらも楽しみです。

 本文は、人々が行き交っていた東海道の街道筋が、鉄道開通を迎えて変化していくさまを描いているところです。
 明治19年の東海道線開通と藤沢駅開設時、「汽車には大反対」「停車場を宿場近くに(設置されるのは困ると)さんざんお願い申して(…)家一軒ない桃畑のまんなかに(駅を開設することになった)」という車力のお爺さんの話が引用されています。
 このように、鉄道が建設された時に反対の訴えがあったため、線路や駅が既存の中心部から遠ざけられた、という話は全国各地にあるようです。山川菊栄も「駅が町に遠い野原の中にポツンとあったりするのはその時代の記念なのです」などと記しています。しかし、近年の鉄道史研究では、この点の再検証が進められており、総称して「鉄道忌避伝説」などとも呼ばれているところです。さて、藤沢ではどうだったのか。読書会の場で、石黒から、調べられる限りで見つけた資料などをご提示しました。
 特に、藤沢市史(第三巻資料編 昭和50年刊)の記述の元とされている「藤沢駅史」が、昭和17年に当時の駅長が「土地の古老」に記憶をたどってもらって書いた、などとされていることが分かり、この「わが住む村」を書くために山川菊栄が聞いて回った時期(初版刊行が昭和18年12月)と一致もしくは先行するという発見があったことをお話ししました。

 歴史的な事実の追求は専門化の研究に委ねたいところですが、現代の目で読み直す重要さをあたらめて感じたところです。

 

 次回、第5回は、11月17日(日)14時から。おなじくBOOKYでおこないます。参加費は無料ですが、カフェでのオーダーをお願いします。ブックカフェ営業中ですので、ふらりとお立ち寄りになるのでかまいません。初めての方、大歓迎です。ただし椅子のご用意の都合もありますので、できればご連絡いただけると助かります。

 岩波文庫版の『わが住む村』が入手できないかもしれませんが、国立国会図書館のデジタルコレクション(登録者のみの個人送信)https://dl.ndl.go.jp/pid/9539136でも見ることができます。

文京区立森鴎外記念館の特別展に山川菊栄と山川均のはがきが展示されています。

「111枚のはがきの世界~伝えた思い、伝わる」と題した、東京の文京区立森鴎外記念館の特別展に、山川菊栄と山川均のはがきが展示されています。

期間は、来年2025年 1月 13日までとなっています。

鴎外をはじめ、明治から昭和にかけての文学者、美術家、ジャーナリストなど多士済々のはがきが百花繚乱のごとく並べられています。

鴎外記念館のある千駄木から根津、谷中のエリアは寺町で、谷中の墓地にかけて著名人のお墓も点在しています。秋晴れの散歩日和を選んでおでかけください。

料金・休館日・アクセスは同館サイトをお確かめください。https://moriogai-kinenkan.jp/

法政大学市ヶ谷キャンパスで平塚らいてうに関するシンポジウムが開催されます

先にお知らせした、法政大学大原社会問題研究所所蔵の平塚らいてう関係資料の公開を記念した展示(同所にて10月末まで)に合わせて、同大学の市ヶ谷キャンパスでシンポジウム「らいてうと婦人運動の時代」が開催されます。詳しいプログラムはこちらのPDFをご覧ください。

締切は、あさって10月9日(水)正午とのことです。

開催日時: 2024年10月12日(土)14時~17時

開催方法: 会場参加

会場:   法政大学市ケ谷キャンパス 大内山校舎Y406
 (JR・地下鉄 「市ヶ谷」または「飯田橋」駅 下車 徒歩10分)

参加費:   無料(どなたでもご参加いただけます)

【参加申込み方法】
こちらのフォームよりお申し込みのうえ、会場にお越しください。


山川菊栄の生涯と業績のパネルをどうぞご活用ください。

先日、船橋市で開催された男女共同参画フェスティバル(9月7日)に、「山川菊栄の足跡をたどるパネル展」企画のため、記念会作成のパネルを貸し出しました。

このパネルは、2010年、生誕120年を記念して作成したもので、A1サイズ (841×594センチ)で、7枚と年譜1枚による生涯と業績を写真つきで説明するものとなっており、今回、山川菊栄賞一覧とともに山川菊栄記念会を説明するパネル1枚を新たにしました。合計9枚となります。

<パネルの内容>

山川菊栄と記念会について

生い立ちと思想形成
母性保護論争から 「婦人部」論争まで
戦時下の山川菊栄
労働省婦人少年局長としての活躍

その仕事
山川菊栄と海外
『婦人のこえ』 と婦人問題懇談会
年表

船橋ではパーテーションをうまく利用された展示を見ることができました。A1の大きさを並べるとかなりの壁面長が必要になるとの印象をもちますが、パーテーション表裏を利用すると、もう少し狭い空間でも展示することが可能かと思います。

貸出料は2週間程度で5000円(税込み、往復移動費用は別途ご負担いただきます)となっています。どうぞご活用くださいますようお願いいたします。

平塚らいてうの資料整理が終わり、法政大学大原社会問題研究所で公開記念展示が開催されています。

「らいてうと婦人運動の時代」と題して、法政大学大原社会問題研究所で、所蔵される平塚らいてう関係資料の公開記念展示が開催中です。


会期:2024 年8 月21 日(水)~ 2024 年10 月31 日(木)
会場:法政大学多摩キャンパス(図書館・研究所棟5 階)
大原社会問題研究所展示コーナー、担当:井上直子兼任研究員
*平日9:30~11:30 12:30~16:00、土日祝休ですが、9 月21 日(土曜)のみ10:30~16:00で見ることができます。*法政大学多摩キャンパスへはJR横浜線・相原駅から法政大学直通の相鉄バスで10分ほどです。

これらの資料は、奥村家資料とともに「NPO法人平塚らいてうの会」から2022年3月に大原社会問題研究所に寄贈されたものです(『平塚らいてうの会ニュース』117号、2022年4月1日)。所内の「平塚らいてう資料研究会」のもと精力的に資料整理が進められてきており、資料目録も発行されています。また、日記については、1920年、1948‐50年、1954‐58年の分がすでにデジタル画像化を終えて、PDFで「平塚らいてうの会」サイトのページから公開されています。

なお、長野県上田市の平塚らいてうの家は今年度は10月28日までの開館ですが、この4月都内に新たに開かれた「平塚らいてう・女性運動資料室」で常設のパネル展示が見られます。場所は新日本婦人の会中央本部ビル(東京都文京区)の1階とのことです。

詳しくは、「NPO法人平塚らいてうの会」サイトでご覧ください。


船橋市の第27回男女共同参画フェスティバルで山川菊栄のパネル展示やドキュメンタリ―映画の上映が予定されています

9月7日(土)に船橋市で第27回男女共同参画フェスティバル~心のキャンバスに笑顔をえがこう!~が開催されます。
場所は船橋駅前・船橋フェイス ビル5階、6階の男女共同参画センターほか各所となっています。くわしくはこちらからプログラムをダウンロードできるようになっています。

8月30日から山川菊栄記念会作成のパネル展示(船橋市男女共同参画課)があり、9月7日15:00にはふなばし女性会議によるドキュメンタリー映画「姉妹よ、まずかく疑うことを習え」(山上千恵子監督作品)の上映(きららホール)もあります。

今回のパネル展示に合わせて、パネルの1枚を改訂し、山川菊栄受賞作品タイトルをすべて掲載した最新内容のものにしました。

どうぞ船橋のフェスティバルにお出かけください。