2月23日(日祝)に「山川菊栄カフェ」(わが住む村 読書会第7回)を開催します。

 2024年5月にスタートした山川菊栄カフェ「わが住む村」の読書会ですが、年を越えて第7回を迎えるまでになり、毎回10人前後の人々が藤沢のシェア型ブックカフェBOOKYさんに集いあっています。昨年12月にはカフェの一隅を照らすように山川菊栄の本棚も実現し、著書や山川菊栄記念会が刊行してきた書籍などを手に取っていただけるようになりました。現在は絶版中で新刊書店では入手しにくい「わが住む村」も用意してありますので、読書会の日でなくても、ぜひともお立ち寄り下さい。(BOOKYさんは金土日月の営業です)。


 最近は前半を山川菊栄の話題共有の時間とし、後半から「わが住む村」の1~2節を読むという形式に落ち着いています。これまでは、東海道の藤沢宿のはなしを江戸期以前から書き起こされ、宿場町の助郷やら雲助やらの話、黒船襲来、明治天皇の東幸などの話が続きましたが、第7回では「武士と百姓」(p.52~)、「鎮守さまと氏子」(p.58~)あたりを読むことになります。いよいよ村岡地域の風物が登場することでしょう。毎回参加していただいている一龍斎春水さんが朗読をしてくださる予定ですので、こちらも楽しみです。

 会場はいつものとおり、藤沢・柄沢橋のブックカフェBOOKYさんにて。参加費は無料ですが、カフェでのオーダーをお願いします。
 ブックカフェ営業中ですので、ふらりとお立ち寄りになるのでかまいません。初めての方、大歓迎です。ただし椅子のご用意の都合もありますので、できればご連絡いただけると助かります。みなさまのお越しをお待ちしています。
連絡先:y.kikue @ shonanfujisawa.com (半角をつめてください)

 

---
前回、第6回(2025年1月11日・日)に開催しました。参加者は9名。
前半に、花束書房より2024年8月に刊行された「帝国主義と闘った14人の朝鮮フェミニスト」(ISBN:978-4-9912489-2-4)の紹介がありました。本文中で紹介されている14人のフェミニストのうち、丁七星(チョンチルソン)の項目では、彼女が日本留学中(1923年)に、山川菊栄の講演を聞いて感銘したことが記されています。
後半、「わが住む村」の朗読は「さがみ野の昔」「村の草分け」の2節。潮があがるはなし、潮鳴りがする話。いまでも藤沢のこのあたりでは、海が鳴ってるのが聞こえると言います。日本武尊の東征の弟橘媛のうた「さねさし相模の国の…」が引かれていて藤沢の地を通ったこと、更級日記に登場する「にしとみ」も、この藤沢市西富(遊行寺の北側あたり)であること、などを話しました。

国立映画アーカイブの女性映画人特集(第3回)で、山上千恵子監督の作品が上映されます。

東京京橋の国立映画アーカイブでは、一昨年から女性映画人特集の上映会が続けられてきました。2023年の「日本の女性映画人(1)―無声映画期から1960年代まで」、2024年の「日本の女性映画人(2)―1970-1980年代」に続き、今年の企画は、監督、制作、脚本、美術やスクリプターなど映画を支えてきた女性たちの活動に光をあてた特集となっています。

2月11日から3月23日までの開催で、山川菊栄のドキュメンタリー映画の監督である山上千恵子さんの作品が2点上映されます。「ルッキング・フォー・フミコ」(1993年)は、栗原奈名子さんと瀬山紀子さんによる作品。そして瀬山さんとともに山上さんがたちあげた「女たちの歴史プロジェクト」の最初の作品「30年のシスターフッド 70年代ウーマンリブの女たち」(2004年)とともに、2月26日と3月23日の上映となっています。

また、羽田澄子監督の「女たちの証言―労働運動のなかの先駆的な女性たち」(1996年)の上映もあり、これは、大正・昭和の名だたる社会主義労働運動家たちが集まった1982年の座談会を中心にした大変貴重な記録映画であり、近現代史の資料といえる映像です。鈴木裕子さん(山川菊栄記念会世話人)も協力し座談会に参加されています。((2月26日、3月11日上映予定)

上映時間など詳しいプログラムは、国立映画アーカイブサイトhttps://www.nfaj.go.jp/film-program/women202502/でご確認ください。

森鴎外記念館の特別展が終わりましたが、山川菊栄がハガキを出した山口武美という人についてひとこと

昨年から開催されていた東京・文京区立森鴎外記念館の特別展「111枚のはがきの世界―伝えた思い、伝わる魅力」展が、先月の1月13日に終わりました。コンクリートうちっぱなしの無機質な地下の展示空間に、色とりどりに並んだ110枚のハガキは圧巻で、手書きの絵や短歌、俳句などの添え書きから送りての個性もうかがえて、丁寧な解説もあいまってとても楽しめる内容でした。郵便料金値上げに伴って年賀状も激減しているなか、改めて多様性を見せていたアナログコミュニケーション時代を見直す時間ともなりました。

山川夫妻のハガキは昭和の初期と戦後の時代の別々のパートに展示されていました。このうち菊栄が1946(昭和21)年に光文社の山口武美にあてたハガキは原稿依頼を受けたものの、家族の看病を理由に断っていると思われる返信で、宛先の山口武美を不明とされていたのですが、心当たりがあって少し調べてみることにしました。

実は筆者は、山口武美(ヤマグチタケミ)の御子息にあたる山口静一埼玉大学名誉教授とは、1980年代に河鍋暁斎研究会の草創期に交流がありました。暁斎の曾孫で戦後早期に東大で医学博士を女性として取得した、眼科医・河鍋楠美氏の情熱的なイニシアティブで「暁斎絵日記」の解読や各地見学会などがあり、そうした会合の折に、山口教授が明治前期の戯作本など大量のコレクションを遺された御尊父の略年譜編纂について話しておられたことを記憶していました。それらの戯作本に文明開化に翻弄される庶民の喜怒哀楽を描いた河鍋暁斎の挿絵や、その弟子の鹿鳴館設計で知られるジョサイア・コンドル(暁英)について山口教授は研究を深化されていきました。

改めて、東京都立中央図書館に寄贈されていた『山口武美略年譜』(1986年、燈篭堂)にあたってみると、河鍋暁斎デザインによる千代紙で作られた表紙が色鮮やかにあらわれ、山口静一氏がワープロ打ちしたと思われるテキストを通じて、山口武美は、戦後光文社で総合雑誌『光』や光文新書の編集に携わり定年まで勤められたことがわかりました。

「略年譜」によると山口武美は1902(明治35)年、青森県に生まれ東洋大学を卒業後、『従吾諸好』や『書物展望』編集出版で知られる石川巌に師事し、収集した膨大な古書をもとに調査を重ねて、3つの書誌編さんの仕事、すなわち『日本沙翁書目集覧』『日本映画書誌』『明治前期戯作本書目』を残しました。また詩作、自由俳句の創作もあり、戦後の第21回芥川賞次点にもなった小説「雪明り」(筆名は光永鐵夫)と多彩な文芸活動をしていました。遺されたカードを拡充しながら「芥川龍之介作品収載教科書書目」を山口教授が『埼玉大学紀要』(埼玉大学教養部、34号、1985年11月)にまとめられています(https://dl.ndl.go.jp/pid/1797705

さて、展示された1946年8月17日発(推定)のハガキにもどってみると、敗戦直後の1945年10月に光文社から創刊された総合雑誌『光』の執筆依頼を断ったという背景がみえてきます。いったんは執筆依頼を断っていた菊栄ですが、「評論家・労働省婦人少年局長」の肩書で、1948年の『光』3月号に「嫁と姑」という見開き2ページのエッセイを執筆しているので、後日に求めに応えていたことがわかります。ただし、山口武美の名前は編集後記には見当たりませんでした。

このエッセイ「嫁と姑」は母系制度から家父長制の定着のなかで嫁と姑という二人の女性の確執関係が生まれてきたという女性史的背景から起筆して、新しい社会のもとで慣習にとらわれたりしながら嫁いじめになりがちな関係性をどう克服していくか、別居も視野にいれながら世代差を越えた相互理解が必要と、理想主義的に書いています。戦前から評論家として論壇の第一線にいた山川菊栄は『婦人公論』『女性改造』『婦人の友』といった女性雑誌だけではなく、総合雑誌の上で男性執筆者と肩を並べて堂々とした意見を表明していました。この『光』誌も書き手も読み手も男性がほとんどと思われるなか、多くの家族で男性が見て見ぬふりをして過ごしている小さな権力闘争の問題を示したのではないかと思われます。

山口武美が1980年3月に鬼籍に入ったのち、自由民権100年を背景に、雑誌『状況と主体』に遺稿である「近代反体制ノン・フィクション」が20回にわたり特別連載として掲載されています(1981年6月~1983年5月号)。国立国会図書館のデジタルコレクションで読むことができますが、その冒頭には1876(明治9)年に茨城県で起きた農民反乱をテーマにした「探誠夢復路」が置かれています。山川菊栄が戦後最初に書き、のちに『覚書 幕末の水戸藩』の冒頭に掲げた、生瀬の農民騒動の話と一脈通じるものを山口武美氏も残していたのでした。(山口順子、河鍋暁斎友の会会員)

*山口武美の読み方は、日外アソシエーツ株式会社 編『日本著者名総目録』1948~1976 6 (個人著者名 み~わ),日外アソシエーツ,1989.9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12237336によった。