山川菊栄のパネルが村岡市民センターオープンで披露されました。

東海道の線路を挟んだ神奈川県藤沢の村岡で、山川菊栄は後半生を過ごしました。戦前は3000羽ほど飼っていたというウズラ園を経営していたこともありました。都会育ちだった菊栄は、近所の人々に農作業の教えをこいながら、土地の歴史を少しずつ聞き、優れた地域史であり民俗誌でもある『わが住む村』を書き出版しました。1943年のことでした。

この「わが住む村〜山川菊栄と村岡村」と題したA1版のパネルを山川菊栄記念会で制作し、10月4日にオープンした村岡市民センターの一角に掲出していただいております。

4日の内覧会では、孫の山川しげみ氏をはじめ、ゆかりの方々、住民の皆様が大勢足を止めてご覧いただきました。
駐車場側入り口から入ってすぐ、ロビー2の休憩室に近い壁面の角、地域の古い写真とともに、見ていただけるようになっています。

掲示にあたり、谷津えみさんのご尽力、村岡市民センター長のご理解をいただきありがとうございました。ました。制作にあたりご協力くださいました、岩波書店、神奈川県立図書館にもに心から感謝申し上げます。