『婦人のこえ』復刻版が六花出版から刊行されました。

昨年のNHK朝の連続テレビ小説「虎に翼」のモデルで、日本で最初に弁護士となる女性たち三人のうちの一人、久米愛が『婦人のこえ』に登場していることは、以前このニュースで紹介しました。戦後のGHQ占領下、山川菊栄は労働省婦人少年局長として、全国の婦人少年室との情報の共有化をめざして『婦人少年局月報』を発刊しました。そして、労働省を退いてから社会党左派の準機関誌として創刊したのが『婦人のこえ』でした。

その『婦人のこえ』(1953年10月号~1961年9月号)の復刻版がこのほど六花出版から刊行されました。全8巻で昨年11月に4巻が、鈴木裕子さんの解説とともに配本され、のこり4巻が今年の5月とのことです。大学図書館やお近くの公共図書館で、ぜひリクエストをお願いします。

『婦人のこえ』の編集過程については、実質的に編集実務を一手に引き受けていた菅谷直子さんが最も詳しく書き残しています。いよいよ刊行経費に行き詰ったとき、山川菊栄が夫・均の遺品であった古く重いオーバーコートを手にして、知り合いの男性たちに買い手を求めるエピソード(『不屈の女性‐山川菊栄の後半生』海燕書房、1988年)はとても印象的です。厳しい言論弾圧を経験した菊栄にとって、自由に心おきなく執筆できるメディアを女性たちの手で作り出すことは長い間夢にみていたことだったにちがいありません。このエピソードからは、なんとしても刊行を継続させたいという菊栄の強い意思が感じられます。

晩年の山川菊栄と同居し、さきごろ亡くなった岡部雅子さんもこの『婦人のこえ』に着目し、山川菊栄文庫では欠けていた分について各機関を調査して丹念に総目次をつくり、菅谷さんの晩年の著書『来しかたに想う』(岡部氏と佐久間米子氏の共同刊行による私家版)に掲載しました。

山川菊栄記念会の代表だった故・井上輝子さんは、この岡部さんの仕事を生かしたいと考えて、関係者の了解のうえ、「日本婦人問題懇話会の軌跡サイト」内でオープンソースとしてPDF公開するようにしたのは、2016年9月のことでした。『婦人のこえ』終刊後、すぐに立ち上げていったのが婦人問題懇話会でした。このファイルは、Ctrlキー+FでPDF内のテキスト検索も可能です。六花出版復刻版と合わせて、ぜひご活用いただければと思います。参照引用条件は、第1頁下の表示にある、クリエイティブコモンズ4.0(非営利・参照元表示・改変禁止)ということでよろしくお願いいたします。

「虎に翼」のモデルの一人、女性弁護士・久米愛と雑誌『婦人のこえ』

『婦人公論』は『読売新聞』と並んで、山川菊栄が最も多く執筆したメディアですが、そのなかの内外時評という時事的なコラムに「婦人弁護士一職業の門戸開放」(1929年3月号)を書いています。当時の第56議会に司法省が女性弁護士を認める弁護士法改正案を提出したことを受けたものでした。法改正の理由は、それまで認められていた教員や医師と同様に女性特有の長所があるからとしており、菊栄はほかのすべての職業の門戸開放も同様に認められるべきと主張しています。1933(昭和8年)の弁護士法改正以前のことでした。

菊栄の記事から10年近くたとうとした1938(昭和13)年、日本で最初に弁護士になった女性たちと男女平等への道を切り開く苦闘を描くNHK朝の連続テレビ小説「虎に翼」が話題となっています。モデルとなった最初の女性弁護士三人のうち、中田正子(1910-2002年)は東京府立第二高等女学校(現・都立竹早高等学校)出身で、山川菊栄の後輩にあたります。また、久米愛(1911-1976年)は、山川菊栄が創刊した戦後の雑誌『婦人のこえ』に登場しています。

久米愛の執筆記事は、憲法や法律と女性の地位の関係、松川事件などへの所感など4本あり、ほかに参加した、1958年12月号の座談会「警職法と基本的人権」では、この年の10月8日に政府が突然国会に提出した警職法(警察官職務執行法改正案)の解説をして議論をリードしています。路上での任意の職務質問や携帯品のチェックを警官ができるようになるこの法律が新憲法下で保障された基本的人権の制限につながることから、当時の女性団体がこぞって大反対運動を展開していることに言及し、最後の方で、仕事と家庭の両立問題にテーマがうつると、本人が弁護士資格を得た時期について、結婚後、試験に通ったと語っています。

戦前に厳しい検閲や妨害による言論弾圧を経験したのち、戦後ようやく手にした言論の自由のもと、山川菊栄はこの雑誌『婦人のこえ』を社会党左派系の雑誌として1953年10月に発刊し共同編集責任者の一人に就きました。編集発行人は菅谷直子(1909-2006年)が務めていました。

創刊3周年記念号(1956年10月号)をみると、歌手の淡谷のり子が祝辞を寄せ、資金集めのコンサートも開催していますが、それは社友の一人だったからでした。巻末の社友名簿ではアイウエオ順に淡谷以下、36名の個人、そして団体として日本労働組合総評議会傘下各労働組合婦人部、全国産業別労働組合、連合傘下各労働組合婦人部が参加。久米愛も弁護士として名を連ねており、ほかに作家、評論家として石垣綾子、圓地文子、神近市子、女優の杉村春子、長岡照子、画家として、小川マリ、三岸節子、田所芙美子など多彩な人名がみられます。春陽会で初の女性会員となった小川マリ(1901-2006年)は『婦人のこえ』の表紙絵として花や静物の作品を提供しました。山川菊栄が執筆編集に関わった多くのメディアはいわゆる言論系の文字レイアウトだけの表紙が多かったなかで、この雑誌の清楚なはなやかさを際立たせています。ただ、雑誌は手弁当で編集され、イラスト代金も支払われていなかったとのことで、財政的に行き詰まり山川菊栄は夫・均の遺品のコートを売ってまでして資金を作りましたが、1961年9月廃刊に至りました(菅谷直子『不屈の女性ー山川菊栄の後半生』(海燕書房、1988年)。おそらく久米愛の座談会への出席もボランティアで行われたと思われます。

『婦人のこえ』の目次は「日本婦人問題懇話会の軌跡」サイト内でPDFファイルにより提供していますのでご利用ください。

*架蔵本の『婦人のこえ』表紙絵の掲出につき、小川洋子様の御理解御協力をいただきましたことに感謝申し上げます。(山口順子)