『明星』に青山菊栄の翻訳小品が掲載されていました。

山川菊栄が、森田菊栄として生まれてから135年がたとうとしています。東京府立第二高等女学校在学中に、母方の祖父であり水戸藩藩儒であった青山延寿の跡をつぎ、青山菊栄を名乗りました。父親の事業の失敗から家族の経済的な状況もあって、女学校卒業後は一度国語の教師をめざしますが、すでに古典の多くを読破していたため学習レベルに飽き足りず、麹町近くの教会の成美女学校で英語を、そして同じ教会で開催され始めた、女性の作家育生のための閨秀文学会に参加します。しかし、ほどなく閉じられてしまいます。その会を通じて与謝野晶子や平塚らいてうとも知り合い、馬場孤蝶に師事してその自宅で大陸文学、すなわちフランスやロシアの自然主義文学を英訳から学んでいきました。

その成果ともいえるドーデ著「月曜物語」からの2作品の梗概翻訳が『明星』に掲載されていたことを確認し、論考としてこのほど『資料部情報』5号で公開しました。馬場孤蝶の和訳指導プロセスそして多感な青春時代が日本の繰り返される対外戦争の時期と重なり、家族の情報環境のなかで、平和主義、人道主義の原点がはぐくまれていたことを考察しました。ご一読いただければ幸いです。(山口順子)