山川菊栄が遺した資料とともにミシンがあるという話をずいぶん前に聞いていました。前回家事のイメージのない山川菊栄と書きましたが、ミシンを使っていたというのは意外な感じがします。
以前『文藝春秋』のエッセイ「まず手近なところから」(『文藝春秋』1935年2月号・『山川菊栄集6』に収録)」に触れましたが、従弟のアンチフェミニストの砲兵中尉が子育てのためミシン仕事を操っていることと書いたついでに、夫も息子もミシンで綻びくらいは直していると書いています。そのミシンがこれということでしょう。

岡部さんの旧居でミシンが見つかるかもしれないと淡い期待をもっていましたが、、部屋の奥から記念会の佐藤さんが執念のように見つけ出したときは、一同びっくりしました。手回し式のもので、「Anker」というブランド名や碇のマークが大きく書かれています。撮影画像で検索すると、なんと大正時代にドイツから輸入され、日本で初めて使われはじめた銘柄だとのことです(http://innocent-vintage.com/view/item/000000006386<2025年5月29日>)。
使い込まれたあとのあるミシンでどんなものが縫われたのか不明ですが、藤沢の弥勒寺の近所をまわってお年寄りから話を聞いたとき、着物を仕立て直した洋服を着ていたことが『わが住む村』にでてきます。いまでいう着物のリフォームをしたのだろうか、などといろいろと想像が膨らんでいくミシンです。